都市部の公園では、ボール遊びや大きな声などを禁止する看板が見られ、社会の不寛容はコロナ禍でも子どもたちを窮屈な環境へ追い込んでいます。2022年6月20日(月)、コープ自然派おおさか(チーム・おやこねっここそだて主催)は、「ひらかたプレーパーク実行委員会」会長・山口遼太さんにプレーパークを立ち上げた経緯と取り組みについて聴きました。
プレーパークの成り立ち
プレーパークは、子どもが自分の責任で自由に遊べる場所。1943年、デンマーク・コペンハーゲンの「エンドラップ廃材遊び場」が世界最初のプレーパークとして誕生し、日本では1979年に、常設「羽根木プレーパーク」がスタートしました。日本のプレーパークは、東京を中心とした関東圏に多く、関西圏ではまだ十分に認知されていないのが現状です。全国的には自然環境や地縁、空間的自由度に反比例し、都市部に多くあります。
提案先を多方面に柔軟に
山口さんは枚方市に生まれ育ち、子どもの頃から自然が大好きでキャンプインストラクターやネイチャーガイドなど野外体験教育に従事しています。その経験から、子どもの心身の成長に自然体験が及ぼす影響力を実感し、枚方で子どもがのびのびと自然のなかで遊べる場所をつくりたいと考えました。
子どもが遊べる森づくりを枚方市の行政機関に提案しますが、教育委員会や子育て支援では前例のないことから難しいことがわかりました。そこで、緑地担当課の「未利用緑地(放置林)の荒廃」という課題に対して、森を整備するのと同時に「子どもたちが遊びやレクリエーションを通じて自然を学ぶ場所を創出する」という概要で相談。UR都市機構が管理する枚方市香里ケ丘の「桑ケ谷の森」を紹介され、2016年、市民の手で「整えすぎない」里山的整備をスタートします。そして、2019年、枚方市へ土地管理が移管し、「ひらかたプレーパーク実行委員会」による「プレーパークこうりがおか」の緑地整備と定期的な運営が始まりました。
子どもの考えを導き出す
「プレーパークこうりがおか」は毎月第4土曜日に開催、入場無料、参加者数は平均140名、参加者の多くは未就学児から小学低学年とその保護者です。第3土曜日は大人による整備作業を行っています。斜面を利用した手づくりのすべり台やターザンロープ、豊富な竹を使ったジャングルジム、ブランコやハンモックなどがあり、子どもたちはのこぎりを使って竹馬をつくったり、焼き芋、秘密基地を増設するなど自由に遊びます。
スタッフは周辺に住む市民有志ボランティアで構成され、生物を研究する地元の高校生たちは「プレーパークこうりがおか」の森に棲む生きもののデータを集めたことがきっかけで、その後も生きものを紹介するお兄さんお姉さんとして人気です。
プレーパークは、自分の責任で遊ぶ場所。初めて参加した子どもたちはどう遊んでよいのか戸惑いますが、他の子たちの遊びをまねするなど、少しずつ自分の興味や遊び方が増えていきます。今の子どもたちは大人に「これはどうしたらいい?」と答えを求めることが多いのですが、スタッフは「どうしたらいいと思う?」と子どもが自分で考え行動するよう導き、保護者には「手は離して目は離さないで」と伝え、子どもの好奇心や挑戦心、失敗を楽しむ前向きな気持ちを大事にしています。
意図的ではないハザード(命にかかわる危険)には、森を整備することで予防し、擦り傷などのリスクについては許容してもらい、スタッフはできる限り危険を排除しすぎず見守ります。「プレーパークは、大人自らが子どもたちと自由に遊んで良い場所で、森の各ポイントにいるスタッフたちも楽しむことが大切です」と山口さんは話します。
プレーパークのこれから
2019年に「プレーパークこうりがおか」は「都市景観大賞」と、「みどりのまちづくり賞」を受賞し、他団体との関わりを模索しながら活動の認知を広げています。「出張プレーパーク」は、PTAや子ども食堂など地域の要望を受けて公園や緑地、学校などで企画・実施されています。そして、子どもが遊んで馴染んでいくうちに、保護者同士やスタッフ(シニア・学生)との会話が生まれ、子育て世代の相談場所になるなど、「子どもの遊び場」が「地域交流のプラットホーム」へと進化してきました。
プレーパークを立ち上げるには、社会的意義を訴えるよりも楽しんでいることをアピールする、緑地の活用方法を広く募るなどの工夫が必要です。山口さんは、「今後は、プレーパークでフリースクールを運営する人が出てくるなど新たな運営母体が増え、同時に開催回数が増えて、香里ケ丘だけでなく自宅から自転車や徒歩圏内にプレーパークができることが理想です」と話しました。
Vol.472(2022年9月)より
一部修正・加筆