2024年9月8日、コープ自然派おおさかでは、2024年度総代会記念講演会として、映画「MINAMATA」上映会と併せてアイリーン・美緒子・スミスさんの講演会を開催しました。アイリーンさんは、映画の原案となった写真集『MINAMATA』の共著者です。

いまも続く水俣病事件
水俣病は、熊本県水俣湾周辺でチッソという化学工業企業の工場から排出された有機水銀に汚染された海産物を、住民が長期間にわたり日常的に食べたことで起きた公害事件です。食中毒事件は本来、被害が分かった段階で提供を止め、そのあと原因物質を究明するというのが正しい対応ですが、水俣では、水俣湾の漁獲禁止措置を取らなかったことで、被害がどんどん広がっていきました。
水俣病の対策が遅れたことで新潟でも第二水俣病公害事件が発生。1956年に水俣病が公式確認されてからもうすぐ70年が経ちますが、いまも水俣と新潟合わせて9件の裁判が係争中です。「当時まだ子どもだった人たちが、70年経ったいまもまだ自分の被害を訴えなければならない。水俣病はいまも続いている問題です」とアイリーンさんは話します。
水銀に関する水俣条約
水銀汚染は、いまも世界中で拡大し続けています。石炭火力発電と金の採掘が主な汚染源です。2013年には水銀を規制する国際条約である「水銀に関する水俣条約」が採択され、日本も批准していますが、国の水俣病認定制度は半世紀も変更されていません。「行政はいまだ、被害地域を網羅する健康調査を行っておらず、半世紀以上問題解決を拒み続けています。一方、福島の原発事故の健康被害も国や企業は認めようとしません。原発と放射能の問題も水俣病への対応と重なります」とアイリーンさん。
水俣と福島に共通する「10の手口」
1979年のスリーマイル島原発事故以降、脱原発運動にも深く関わってきたアイリーンさんは、国や加害企業が水俣と福島で行ったことは、驚くほど似ていると言います。
- 誰も責任を取らない/縦割り組織を利 用する
- 被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」
に持ち込む - 被害者同士を対立させる
- データを取らない/証拠を残さない
- ひたすら時間稼ぎをする
- 被害を過小評価するような調査をする
- 被害者を疲弊させ、あきらめさせる
- 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
- 海外に情報を発信しない
- 御用学者を呼び、国際会議を開く
私たちは、これら「10の手口」によって分断され、力を奪われないように気をつけなければなりません。
映画への思い
映画「MINAMATA」は、写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスが、共著写真集『MINAMATA』で 〝水俣病〟を世界に報じるまでの日々を描いた作品です。2人は1971年から3年間現地で暮らし、一人ひとりの苦しみを記録していきました。「私の知るユージンは、決して諦めず、何があっても真実と向き合う人でした。何より大切にしていたことは、被写体と、写真を受け止める側、両者への責任。その大切さを私は今改めて深く感じています」とアイリーンさん。そして、「映画によって、患者さんたちが闘い抜いた事実が国内外の多くの人々に知ってもらえる、そのようなきっかけとなれば本当に嬉しいです」と。水俣の人たちは、心の傷や違和感を飲み込んで、大勢の支援者たちを受け入れ、ともに闘いました。アイリーンさんにとって水俣での経験は〝被害者が立ち上がれば、正義は日の目を見る〟というエンパワメントの灯となって、いまも胸の中にともっています。
水俣病は、プラスチックの原料が作られる工程で発生しました。私たちが便利な暮らしを追い求めるその価値観が引き起こしたともいえます。「いまこそ社会の仕組みを根本的に変え、これまでとは違う新しいやり方を生み出していかないといけない。それこそが水俣の教訓だと思います」と話すアイリーンさん。悲劇を繰り返さないために、私たち一人ひとりの価値観とくらしの選択が問われています。

Table Vol.509(2025年1月)