2021年11月14日(日)、おおさかの学校給食を考える会主催「給食から考えよう子どもたちの豊かな未来」が大阪市中央公会堂でオンライン同時開催、3人の講演者を迎え先進地域の取り組みを学びました。
おおさかの学校給食を考える会は子どもたちの健康と未来の自然環境のために学校給食をより良いものにしたいという願いのもと2020年に結成、「オーガニックな完全米飯食」「牛乳の選択制」「完全無償化」の実現を目ざして活動しています。
「いまオーガニック給食がなぜ必要なのか?」
メダカのがっこう理事長・中村陽子さん
日本はOECD加盟国の中で農地面積あたりの農薬使用量が最も多い国です。1993年、ネオニコチノイド系農薬(以下、ネオニコ)の使用開始、1996年、遺伝子組み換え(以下、GM)作物の輸入を開始しました。
除草剤グリホサートは世界で最も多く使用され、輸入小麦の検出率はアメリカ産98%、カナダ産100%、オーストラリア産45%。日本で消費する小麦の90%が輸入のため、市販のパンや学校給食のパンからも検出されています。グリホサートは人の腸内細菌のシキミ酸経路にダメージを与えて機能障害を起こすと言われ、腸内細菌叢のバランスが崩れて免疫疾患やリーキーガット(腸漏れ)、アレルギーの原因になります。また、ガンやパーキンソン病、脳の発達に悪影響を起こす可能性があるとのこと。動物実験では親より子や孫世代に大きな健康被害が出ることが報告されています。
ネオニコは日本で開発された殺虫剤で、神経毒性があり、浸透性が高く、長期残留します。虫と人の神経伝達の仕組みはよく似ていて子どもの脳の発達を阻害する可能性があり、子どもの脳関門は未発達のため極微量でも影響が大きいということです。妊婦が摂取すると60分以内に胎児に届き、早産や低体重児になる可能性があります。EUや北米ではネオニコ、グリホサートへの規制や使用禁止の動きがありますが、日本は規制緩和が進められています。
有機食品によるデトックス実験で、有機食品を6日間食べただけで尿中のネオニコのレベルが65%低下、1ヵ月間で94%低下するという結果が出ています。オーガニック100%の和給食を実践する長崎県マミー保育園では、開始した年から園児の年間平均病欠日数が6.4日間から0.6日に減少し、正常体温が36.5℃以上に上昇。1日1食をオーガニックに変えるだけで子どもの身体が大きく変化しました。
「農産物はコープ自然派など有機・無農薬を扱う生協で購入するか、店舗では有機JASマークがついている商品、“農薬不使用” “農薬を使わずに育てました” “有機農産物” などと書かれているものを選びましょう。お金に代え難い価値です」と中村さんは話しました。
「100%有機米の学校給食が実現するまで」
千葉県いすみ市農林課農政班・鮫田普さん
いすみ市は人口3万7000人、希少生物が多く、自然の恵み豊かな里山・里海に恵まれ移住者に人気ある街です。2013年からオーガニック給食の取り組みが始まり、生産者・農協・行政が協力して100%有機米給食を実施。2018年からいすみ市産の有機野菜を取り入れ、今年は8品目5トンを使用しました。
2013年に22haから始まった有機米の栽培は雑草の被害に悩まされましたが、害虫の天敵となる生物が増えたことでカメムシなどの被害がほとんどありません。雑草対策には、NPO法人民間稲作研究所・稲葉光圀さん(故人)を招き、生産者と行政が共に学びました。学校給食米は2015年に4トン(給食1ヵ月分)からスタートし、毎年、収量と参入農家が増え2018年から全量の42トンが有機米になりました。オーガニック化による給食費の値上げ分は、子どもたちの健全育成という目的を打ち出し、市の財源から補填しています。
学校給食で使用する野菜は、青果市場から安定的に供給されるシステムになっているため、地元の野菜を使うことができませんでした。そこで、いすみ市農林課が事務局となり地元の生産者グループとともに有機野菜部会を立ち上げ、地元産の有機野菜を使うシステムをつくりました。ニンジンから始まり、小松菜、メークイン、タマネギなど8品目まで増え、毎月、生産者と管理栄養士、事務局で会議を開いて納品野菜を割り当て、足りない分は直売所から調達できるよう地産地消コーディネーターが調整します。
また、環境と農業と食を一体的に扱う教育プログラムを開発し、教科書「いすみの田んぼと里山と生物多様性」を使って稲づくりを授業の中で実践。その結果、給食の食べ残しが年々減少しているということです。
「市民のニーズに寄り添うのが行政の仕事であり、学校給食は自治の鏡です。持続的・多面的な価値をもつ有機農業を支援し、広めるためには、学校給食とセットで進めることが重要。子どもたちが成長し、やがて築く未来の食卓と、未来の食卓に支えられる農業・農村に大きく期待します」と鮫田さんは締めくくりました。
「日本一の学校給食をめざして」
前宝塚市長・中川智子さん
中川さんが食の安全に関心をもつようになったきっかけは、2人目の子どもを流産で亡くしたことでした。見舞いにきた友人から「食品にどのような添加物が入っていて、それがどう体に影響するのか、食の安全を考えて買い物するべき」と助言され、中川さんはすぐに行動を起こします。生協に加入し、丹南町の有機農家の方と出会い「良いたべものを育てる会」に入会、援農活動に家族と参加し、食べものを心から感謝していただくようになったということです。
1985年、文部省(当時)は各自治体に学校給食の合理化を求める通知を出しました。当時は各学校で調理する自校調理方式が主流でしたが、センター方式(給食センターでつくり、各校に配送する)を導入し、調理員・管理栄養士をパート・アルバイトにして、民間委託(仕出し弁当をデリバリーするなど)を進めるというものです。宝塚市の小中学校の給食は自校調理方式で提供され、調理員は公務員として身分が保障されています。給食は五感で感じながら食べることが大切、センター方式では給食の匂いがすることがなく、つくる人の顔が見えません。直感的に給食が危ないと感じた中川さんは、集会で出会った仲間と3人で「宝塚市学校給食を考える会」を立ち上げます。勉強会や映画上映会、署名集め、チラシ配布などを行い、PTA役員の学年部長にも立候補しました。そして、調理員や教師も仲間に入れ、自校調理方式の維持を訴える署名を2ヵ月で2万7000筆集めて白紙撤回までこぎつけました。
その後、夫の転勤で移住した熊本県でも学校給食活動を行い、宝塚に帰ってからは阪神・淡路大震災をきっかけに衆院選に立候補し当選。被災者生活再建支援法の成立や消費者問題特別委員会で遺伝子組み換え食品の表示を求める活動に尽力。2009年、宝塚市長選に立候補し当選、コープ自然派の有機ニンジンを導入することから給食のオーガニック化にも取り組み、2021年4月任期満了で政界を引退します。「給食は教育の一環で、成長期に体の基礎をつくる大切なものです。子どもたちの命を守るという揺るがない気持ち、家族の理解と数名の仲間、そして、行動することがなにより大切です」と中川さんは話しました。
Table Vol.455(2022年1月)より
一部修正・加筆