「カネミ油症事件」はダイオキシン類が混入した米油が原因で起きた食中毒事件です。このような食品公害を二度と起こさせないために、コープ自然派兵庫(ビジョン環境)とカネミ高砂集会実行委員会は被害者関西連絡会の渡部道子さんと曽我部和弘さんを招き、話を聞きました。

米油にPCBが混入したカネミ油症事件
1968年、西日本の各地で奇妙な吹き出物や手足の痛み、頭痛や吐き気、しびれなど、全身に及ぶ様々な症状を訴える人が続出しました。そして、早産や死産が増え、皮膚の色が黒い赤ちゃんが生まれたのです。
原因物質は「鐘淵化学工業(現カネカ)」が製造したPCB(ポリ塩化ビフェニール)でした。カネミ倉庫が製造した米油に脱臭工程で熱媒体として使ったPCBが混入し、PCBは加熱すると猛毒の「ダイオキシン類」に変化するため、深刻な被害を引き起こしました。当時、PCBは水や熱に強く、電気を通さないなど科学的に安定した性質を持つことから、事件が起きるまでは「夢の物質」と呼ばれ、生活の中のあらゆるものに使用されていました。
もう少し早く知っていれば…
実は、被害が広がる8ヶ月ほど前、養鶏場で鶏が大量死する「ダーク油事件」が起きていました。米油の製造過程で出る副産物「ダーク油」を混ぜたエサを与えたことが原因で、ダーク油を製造したカネミ倉庫には立ち入り調査が行われました。しかし、同じ工程でつくられた米油には詳しい調査は行われず、何も知らずに米油を食べた被害者は深刻な症状に苦しめられ、今も世代を超えて現れる影響に責任を感じて苦しんでいる人たちがいます。

認めたくない油症被害者という事実
渡部さんは幼少期に米油を食べたことで油症被害にあいました。新聞で油症事件が報道されると、人にうつるというデマが流れ、差別も起きました。渡部さんは虚弱体質でガンや病気と闘う人生でしたが、「私は油症被害者ではない」と思い込もうとしていたといいます。「我が子は低体重で生まれ、とても病弱でした。それでも『油症』の影響だとは思いもしませんでした」と話します。
2020年、カネミ油症被害者支援センターが被害者の子や孫への健康影響調査を行いました。それをきっかけに、翌年、国は初めて対象者への被害実態調査を行いましたが、被害の救済に進展はなく、被害者に不安や焦りの声が広がっています。
国と加害企業の責任を問う
4歳のときに米油を食べたという曽我部さんは、大人になり油症被害の活動を行う母親の背中を追うように患者と共に運動をする中で、自分が抱える症状は米油のためだと気付きます。曽我部さんは「紅麹サプリ事件が記憶に新しいですが、米油も紅麹も本来なら身体に良いものです。その良かれという選択に毒が入ってしまい、その後の人生が台無しになってしまう…絶対に繰り返してはならないのです」と語ります。曽我部さんは現在、被害者関西連絡会の共同代表として、次世代以降の患者認定基準の改定と医療費の補償を訴えています。
大量のPCBが残るまち
PCBがつくられた兵庫県高砂市の河川敷には「高砂みなとの丘公園」があり、高さ約 5 m、広さ約 5 haのコンクリートの丘には、カネカから海に流れ出たPCBが含まれたヘドロ6000tが埋っています。
当時、カネカは国内のPCBの96%を製造していました。渡部さんは「根本責任者であるはずのカネカは、責任を問われることなく国に守られています。加害企業として話し合いのテーブルにもつかないのは問題です」と。そして、曽我部さんは「PCBを安全だとして食品工業用に製造しなければ病気になりませんでした。処理しきれないものを人間がつくってはいけない。被害者も頑張りますが、『おかしい』という市民の声が後押しになります。油症事件に関心を持ち続けてください」と伝えました。

Table Vol.514(2025年6月)