2021年7月11日(日)、コープ自然派奈良はジャーナリストの稲垣えみ子さんを迎えて、講演会を開催しました。稲垣さんは福島第一原発事故をきっかけに徹底した節電生活を始め、50歳を機に朝日新聞社を退社、築約50年のマンションで「夫なし・冷蔵庫なし・定職なし」の生活をおくっています。
老後不安は完全にゼロ
稲垣さんが朝日新聞社を依願退職してまず行ったことは引っ越しです。見つけたマンションは築約50年、床面積33㎡、入社時に初めて住んだ家と同じ広さでした。ライフラインは、ガス契約なし、電気代は東京電力と「5アンペア契約」というもっとも低い特殊契約(基本料金なし)を結んで1ヵ月200円以下、水道使用量は1ヵ月1㎥。「毎日、災害時のような暮らしで、備蓄はしていませんがスキルがあるので、たとえ大災害が発生しても1週間はふつうに生活できます」と稲垣さんは話します。
退職時、一部上場企業で高給取り、「朝日新聞」というステイタスを放棄することに、「もったいない」「これから何をするの?」と周囲は驚きました。そして、退職から約5年半、「老後不安は完全にありません」と稲垣さんは笑顔で言い切ります。
「ない」ことの豊かさ
築約50年のマンションは、シューズボックス、クローゼットはもちろん収納スペースがほとんどありません。記者時代に集めた高価な洋服と靴は近所のフリーボックスへ、大量にあった本はお気に入りの古本屋に売り、読みたい時に買い戻して古本屋が書庫代わりです。ガスコンロの代わりにカセットコンロを設置し、風呂は銭湯を利用するためガス契約はしていません。
2011年の福島第一原発事故に大変なショックを受けた稲垣さんは自分が使う電気量を半分に抑えることを目標にします。しかし、節電するだけでは目標達成が無理だとわかり、少しずつ電気製品を手放していきました。掃除機を江戸ほうきと雑巾に代えたところ掃除が楽しく好きになり、洗濯機を洗面器に代え洗濯時間が大幅に短縮、電子レンジを蒸し器に代えると温めなおしたご飯がおいしくなりました。カセットコンロのボンベは1週間に1本の使用を目標に、ご飯は3日分をまとめて炊飯しおひつで保存。冷蔵庫がないため、野菜の保存は干すかぬか漬け、太陽光も調理器具として活用。稲垣さんの夕飯はご飯・みそ汁・漬け物・冷奴・梅干しなど、冷蔵庫がない時代と同じような献立になります。食品の保存ができないため、特売品や試したいものなど余分なものが一切買えなくなり、1日の買い物で200円以上使えなくなりました。そして、灯りとテレビをなくすと静かな夜をゆっくり過ごす贅沢な時間が得られ、冷暖房をやめると季節をより感じ夏・冬が以前より好きに。「以前は手に入れることで豊かになると思っていましたが、その頃の私はICUにいる病人のようでした。多くのモノに管でつながれ、身動きできない状態。節電をはじめて、恐る恐る管を1本ずつ抜き『大丈夫だ』と確認しつつ自由になっていきました。最後の特大の管が会社だったのです。手放すことで失うことの恐怖はなくなり『ない』ことの豊かさを実感しました」と稲垣さんは話します。
元気な街で快適な暮らし
食事、風呂、本棚などは外に頼る暮らしが始まり、近くのカフェが稲垣さんのダイニングになりました。100%家の中に揃えて暮らすのではなく、アウトソーシングすることで、豪邸に住む感覚が得られたということです。
以前は、少しでも安いものを求め、他人が損をすることで自分が得していると感じていました。しかし、自分が快適な暮らしをおくるためには、街の人が元気で商売を続けていく必要があることに気づきます。少し高くても近所の個人商店で購入し、街の人たちが笑顔になるよう会話を楽しみ、近所づき合いがはじまりました。すると、街中で「いってらっしゃい」と声をかけられるようになり、稲垣さんはいつのまにか街の人気者に。人間関係が活発になり、今では稲垣さんのポストや玄関先には野菜や魚、巻きずし、時にはクリスマスケーキなど近所の方からおすそ分けが次々と届けられます。
「街がわが家となり、共同体の中で暮らす安心感が得られました」と稲垣さんは話しました。
Table Vol.450(2021年10月)より
一部修正・加筆