2024年10月20日、フォトジャーナリスト安田菜津紀さんの講演会が開催されました。主催のピースアクションをすすめる会にはコープ自然派奈良も参画しています。

今まさに戦火を生きる子どもたち
2022年2月24日、あってはならないことが起きてしまいました。ウクライナに対するロシアの軍事侵攻です。以来、ロシアのプーチン大統領は、核兵器をかざしながら威嚇行為を繰り返しています。核兵器禁止条約発効後の世界でもなおこのような事態が起きる現実に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子さんは「私たち被爆者の声はあまりにもか細くてプーチン大統領まで届いていなかったのでしょうか。胸のつぶれる思いです」と話したそうです。
さらに2023年10月7日、パレスチナ自治区ガザ地区でハマスの軍事部門がイスラエル領を攻撃。約1200人が犠牲になり、その「報復」としてイスラエルがガザ地区に対してこれまでにない規模の攻撃を始めたのです。攻撃はいまも続き、確認されているだけで死者4万2千人を超えています(24年10月時点)。「ハマスの行動は決して許容できることではなく、適切に裁かれなければなりません。ただ、これまでガザが置かれてきた構造的な暴力の被害を抜きにしては、この問題は語れないと思うのです」と安田さんは話します。

封鎖され孤立してきたガザの歴史
1948年にイスラエルが建国されたとき、更地だった場所に突然新しい国ができたわけではありません。そこには長らく暮らしてきたアラブ・パレスチナの人たちがいました。故郷を追われ難民とならざるを得なかった人たちが多く暮らす場所の一つがガザ地区です。海を含めて周囲すべてを封鎖され、人もモノも自由に出入りできない環境のなかで、未来への希望も人間らしい尊厳ある暮らしも望めない状態が何世代にも渡って続いてきました。220~230万人が逃げ場もなく暮らす場所に、空爆や地上侵攻が行われる。どれだけ凄惨なことが起きるか想像できるでしょう。
ガザで出会った少女
2018年2月、安田さんが訪れたガザ市内の学校では、ちょうど子どもたちが凧揚げの準備をしていました。この学校では、2011年3月の東日本大震災の被災者に手紙を綴り、復興を祈念する凧上げを毎年続けていたのです。安田さんがそこで出会った生徒のひとりに、シャヘドさんという14歳の少女がいます。シャヘドさんは言います。「私は小さい頃から日本の人たちが送ってくれた文房具やカバンや、そこに添えられた手紙に励まされながら大きくなりました。ガザにいる私たちは、自分たちの家が壊されることの苦しさをよく知っています。だからこそ、東日本大震災の映像を見た時の衝撃は今でも忘れることができません。あんなにもたくさんの人たちが同時に家を失ってしまうなんて、どれだけつらくて悲しいことだったでしょうか。だから今度は、私から日本の人たちに何かを伝えられたらと思ったのです」。
その学校は2023年11月に爆破されました。シャヘドさんともそれ以来連絡がとれていません。彼女がいまいる場所が瓦礫の下ではなく、いのちが守られる場所であってほしいと願いながら、安田さんはシャヘドさんからの返信を待っています。
奪われる日常
はじめから戦場や瓦礫の山だった場所はなく、はじめから難民だった人もいません。学校や仕事に行ったり、家族や友だちと遊んだり、そんな当たり前の日常を粉々に砕くのが戦争です。報道では、「〇〇人が」「〇〇という国が」「死者〇人」など大きな主語や数字で語られてしまいますが、本来それは、具体的な人格をもった一人ひとりの人間です。
「今日聞いた話で心に刻まれたことがもしあれば、ぜひ身近な人に伝え、どう思う?と投げかけてみていただけませんか。〝知る〟から〝知らせる〟にアクションを広げていけたらと思います」と安田さんは締めくくりました。もできます」と話しました。
Table Vol.510(2025年2月)