「コウノトリもすめるまちづくり」を合言葉に循環型農業への取り組みをすすめてきた兵庫県豊岡市。劇作家・平田オリザさんと豊岡市長・中貝宗治さんの出会いによって、いま、豊岡市はアートが息づくまちとして世界的に注目を集めています。NPO自然派食育・きちんときほんは設立10周年を記念して、平田オリザさんと中貝市長の対談を企画、「小さな世界都市」・豊岡市がつくり出す物語について2人は熱く語りました。オンラインでは3回に分けてその模様をお伝えします。今回は2回目です。
演劇の聖地・城崎
中貝 平田さんには2010年に豊岡市で開催した文化講演会に来ていただきました。そのとき、30年以上前に建てられた県立城崎大会議館が県から払い下げられたものの使い方に困り、「タダで劇団に貸したらどうか」と思いついて平田さんに相談しました。それが2014年にリニューアルオープンした城崎国際アートセンター(KIAC)で、大ヒットしました。それからのお付き合いですね。
平田 まさかこんなことになるとは思ってなかったですね(笑)。KIACは世界でも珍しい演劇、ダンスといったパフォーミングアーツに特化した滞在型作品制作の施設です。開館1年目にはそれまで年間20日間しか使われていなかったこの施設が年間300日以上稼働していて、現在では毎年世界20ヵ国以上から100件近い申し込みがあり、その中から20前後の団体に使ってもらっています。
中貝 私はインタ―ナショナルな視点は持っていなくて、日本の劇団は貧乏なのでタダで使えると言ったら来てくれるだろうくらいに考えていました。
平田 私は逆に日本の劇団は貧乏過ぎて来れないかなと思いました。でも、東京や大阪だとアルバイトしながらだらだら稽古しますが、ここだと集中できるので効率的です。
中貝 来られた方にお話をうかがうとクリエーション速度は3倍くらいだということです。平田さんにはKIACの芸術監督を引き受けていただきました。
平田 多くの方が城崎は「演劇の聖地」だと言ってくださっています。
観光とアートの大学構想
中貝 兵庫県北部・但馬には4年制大学がなく、人口流出の大きな要因となっていました。そこで、県立但馬技術大学校を改組して観光を中心とした専門職大学にできないかと考えていました。
平田 偶然、但馬空港で市長とお会いし、その構想をうかがいました。国立大学に演劇学部をというのは演劇界の悲願だったので、新設大学に演劇を入れてはどうか、もし実現するなら豊岡に引っ越しますよと半ば冗談で言いました。
中貝 当初、県にはモノづくりと観光コミュニケーションをテーマにした専門職大学の提案をしていましたが、平田さんからコミュニケーションと言えば演劇だとお聴きし、すでに豊岡では演劇によるコミュニケーション教育がスタートし、KIACも大成功しているので、観光とアートを中心とした専門職大学を新設する方向ですすめています。2021年に豊岡駅前に開校予定で平田さんが学長候補です。
小さな世界都市を目ざす
平田 昨年9月、家族とともに豊岡市に引っ越してきました。劇団も引っ越してきて旧日高町役場を劇場に改装して地域の方たちにも喜んでいただいています。
中貝 豊岡市が掲げているのは「小さな世界都市」。世界に通用する輝くものを自分のまちで見つけ、磨いていく。平田さんとの出会いにより、「『コウノトリもすめるまち』から『アーティストもすめるまち』へ」という物語ができました。
平田 Iターン・Uターン者が気にしていることの1つに地方は人間関係が面倒ではないか、そして、楽しみがないのではないかということ。これが「アーティストもすめるまち」となれば、あんなわがままな連中でも許容してくれるのだから余程暮らしやすいのだろうと。そんなイメージがつくられたらアーティストも大きな役割を果たせます。なぜ、豊岡市ではこんな短時間ですべての義務教育機関で演劇を使ったコミュニケ―ション教育が導入されたのかとよく聞かれますが、世界的に考えれば演劇教育を初等教育で行うのは普通です。だから、豊岡が標準だと考えてほしいですね。豊岡の教育学者・東井義雄は、子どもたちを都会に出すことを最優先する高度成長期の時代に共同体を育てる教育を行うことを提唱しました。当時はちゃんと理解されていなかったのではないでしょうか。50年を経てこの言葉が生きてきています。
中貝 当時は子どもたちが田舎を出ても困ることがないよう普遍的な教育が重視されました。しかし、頑張れば頑張るほどローカルに生きる価値がなくなり、子どもたちは外に出て行くという切実な危機感がありました。その答えを見つけないまま走ってきましたが、「小さな世界都市」という概念で考えると、世界に通用するローカルであればローカルに意味があります。あるいは普遍的な知識を身に付けた人がローカルに帰ってきて、ローカルのさまざまな事象を説明したり、ローカルを元気にするための技を伝えると普遍とローカルは合致できるという時代になりました。
平田 豊岡演劇祭には世界中からアーティストがやってきます。江原駅前にフェスティバルカフェをオープンし、演劇を見た人たちが最後に集まって情報交換する場をつくりたい、夜11時に江原・神鍋間を深夜バスを走らせて。特急の停まる江原駅から歩いて2分で円山川の素晴らしい光景が見られるのはすごい。江原をフェスティバルゲートにしたいですね。
地域に根ざすまちづくり
中貝 だんだん絵が見えてきて形になっています、とてもいい感じです。
平田 市民の方たちの意識も変わってきています。最初は疑心暗鬼だったのが何か応援できることはないかと聞かれ、とてもありがたいです。
中貝 平田さんの演劇は当初はわからなかったのですが、時間の経過とともに楽しむ技を身に付けました。最近ではわかりやすい演劇を見るとここまでわかりやすいのはどうかと思うようになりました(笑)。
平田 子どもたちは大人たちがわからないといっているものでも身体の使い方などを見ます。豊岡の子どもたちはだんだん目が肥えてきてそこらの芝居では満足しなくなっています。
中貝 大人は理解しようとしますが、子どもたちは言葉の使い方などできゃっきゃっと笑っています。
平田 豊岡演劇祭に豊岡の生徒に出演してもらい好評だったので、東京の公演にも出演してもらって高い評価を受けました。堂々としていて痛快でした。そういう優秀な子がたくさん出ています。大学がなくて外に出ることを前提としていましたが、大学もできるし、帰ってきたくなるような選択肢ができました。
中貝 平田さんが何かに書いておられましたが、演劇のまちづくりにしてもすごいエネルギーと時間がかかるのに、なぜ豊岡ではできるのかということについて、豊岡はコウノトリもすめるまちづくりという大きな物語を実現するのに地道な努力を積み上げてきた経験があるので時間がかかる物語に怯えないのだと。
平田 まさに冒険家・植村直巳を生んだ風土ですよ。最初、豊岡に来た時、私はまず植村直巳冒険館に行きました。彼はずっと憧れの人でした。冒険とアートは似ていて、成功させるまで誰にもわからない、形になるまで誰も納得しない。そして、センスが問われます。植村さんは一つひとつの冒険のセンスが圧倒的に優れていました。そして、彼は言っていました。ものすごく時間がかかるがその時間に耐えられるかどうかだと。アートも同じです。豊岡市役所
の多くのみなさんはコウノトリを孵化させるという膨大な時間に耐えたという経験が蓄積されていると思います。
中貝 地域に根ざすということはそうかもしれないですね。私は斎藤隆夫という政治家を尊敬しています。彼は第二次大戦中に国会で軍部を批判して衆議院議員を除名されました。言うべきことを言うという政治家です。この地で政治家をしているとどこかで彼のプレッシャーを感じています。
平田 斎藤隆夫という政治家は、きわめてまっとうな保守政治家ですね。当時、軍部を批判して獄に繋がれた人たちも尊いですが、彼はリアリストで、この戦争は勝てるわけがないので早く終わりにして国民の生活を守ろうとしか言っていません。私を信頼していただいたのも基本的に数字を出し、リアルな活動をしているところではないでしょうか。これからはそれが大切だと思います。(③に続く)
Table Vol.422(2020年8月)