デイサービスのスタッフたちが、あの人はあちこち動き回って手がかかると敬遠ぎみのおばあちゃん。かつて学校の家庭科の先生をされていて、生け花や和裁を教えていたという話を聞いて、飾ってあった造花と花瓶を持って生け花センスなしの私に教えてくださいと頼んでみた。
「いやいや、もう昔のことで忘れたから」とおっしゃっていたけれど、基本となる背の高い花を最初に、そして添える花を順番に活けていくこと、つぼみは後方に持って行き、全体に三角形の形になるように高低差をつけることなど、丁寧にわかりやすく教えてくださった。「でも最後はね、自分が『ああ、これで満足』という形になればいいんですよ。あとは自分で考えるようになるでしょう、それが生け花のいいところ」。
「お嫁に来てからは、田んぼと畑がたくさんあって、とても先生を続けたいとは言えなかったですよ。でもね、田んぼや畑で自分がつくった野菜をね、子どもたちがおいしそうに食べることがなによりの喜びでしたよ。土に触れてね、汗をかいてね、いまもちょっとした野菜を作ってね。それをお嫁さんが料理してくれて食卓に並んで、それを家族が食べておいしいと言う、それがとっても嬉しいんです。人間年をとってつらいとかなんとか不満を言って生きるより、喜びをもって生きることが子どもたちへの年寄りのつとめだと思ってるんですよ」と、野良仕事でごつごつになった手指を見せてくださった。牛をつかって田んぼを耕す術から、家畜でも「使われるもの」「使うもの」の両方の気持ちをもってつきあうこと、叩いたり怒ったりしたら牛は賢いのですぐに気持ちが離れてしまうこと、人間でも動物でも愛情が大切などなど、話のなかには心から尊敬すべき大先輩の言葉が散りばめられていた。
スタッフを「せんせい」と呼ぶのは、当時19歳だった教員時代の同僚への呼びかけの記憶なのかもしれない。苦労を重ねた人生は振り返ると色とりどりの花のように美しく、そのなかで体得したものは年を経るごとに熟成されてさらに味わい深い。そうして鮮やかに脳裏に浮かんでいるであろう風景を、次々と紡ぎ出される言葉をもって長時間じっと座って語ってくださったのである。
目の前に活けられた造花はどんな豪華な花にも負けないくらい凛とした強さがあり、誠実に美しかった。ああ、毎日胸いっぱい。大先輩たちのすてきな人生のシーンと珠玉の言葉の数々に出会えるこの仕事、わくわくがとまりません。
1998年、家族とともに大阪から徳島県関那賀町木頭に移り住む。国のダム建設計画に対して敢然と立ち向かった女性たちについて書いた「山守りのババたち~脱ダム村の贈り物」、木頭地区に伝わる生活習慣や風習をまとめた「じいとばあから学ぶこと」が出版されている。
Table Vol.376(2018年10月)