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巻頭インタビュー

「食べること」の基本を考えてみませんか?

養生家庭料理研究家として陰陽調和料理の研究と普及に努める梅﨑和子さん。
「健康は毎日の食卓から」を合言葉に、陰陽調和の「重ね煮」調理法や養生の知恵を取り入れた食を提案しています。食料自給率の低下、気候変動や戦争による世界的な食料危機、フードロスなど、食料事情を巡る問題が深刻化する日本の現状において、改めて梅﨑さんの実践と研究の重要性が増しています。

庭には薬草やハーブ類、かんきつ類などが雑草とともに元気に育っています。
梅﨑 和子| UMESAKI Kazuko
養生家庭料理研究家。病院の栄養士として勤務するなかで現代栄養学に疑問を感じ、日本の「食養」と陰陽調和料理を学ぶ。1987年、「いんやん倶楽部」設立。養生家庭料理の普及に努める。主宰する料理教室では「重ね煮」の調理法や養生の知識を取り入れ、米を中心とした食を提案。主な著書に『おくすりごはん』(家の光協会)、『陰陽調和で考える いのちを養う食の基本』(新泉社)、『旬をまるごと生かす食卓』(講談社)、『こどもの「いのち」を育む旬のおやつ』(クレヨンハウス)など。

「養生」「食養生」の歴史を辿る

 まず、「養生」ということばについて。「養生」とは生を養う、つまり、人間の身体の状態を整えること、健康を増進することです。とくに食事において行うことを「食養生」「食養」といいます。

 人々が元気に働いて、そこそこの寿命を得るための生き方を「養生」という形で伝えたのは、江戸時代の中期から後期です。武士たちの争いが一段落した江戸時代の中期から後期には、社会が落ち着いて、人々は元気で長生きしたい、生活を楽しみたいと思うようになりました。

 江戸時代後期には100冊以上の健康本が生まれています。それらをまとめたものが「養生訓」で、1713年に儒学者・貝原益軒によって書かれた名著です。「養生訓」には、どうすれば健やかに人生を送れるかということが、具体的な方法と精神論を交えて紹介されています。

 江戸時代は世界でも注目される特異なライフスタイルでした。日本は小さな国なのに鎖国していて、食料自給率100%、国土にあるものはすべてを循環させていました。また、庶民文化が花開き、浮世絵などは世界的にも高く評価されています。宣教師が最初に来日した時、仏教や神道、在来のさまざまな宗教が争わず共存できていることに驚いたそうです。庶民の文化度がとても高かったといえますね。

 江戸時代には薬は高価で、医者もたくさんいなかったので、自分で自分の身体を守らざるを得ませんでした。どうやって自分の身、あるいは家族の身を守るかということを追求したのですね。そんななかで1832年に、『病家須知(びょうかすち)』というわが国最初の家庭看護・家庭医学の本が出ています。浮世絵タッチの挿絵を入れて、日々の養生の心得、病人看護の心得、食生活の指針、妊産婦のケア、助産法、養育の心得、当時の伝染病の考え方・対策、急病とけがの救急法、終末ケアの心得から医師の選び方まで、その内容は多岐にわたっています。

今につながる「食養学」を確立

 そして、明治時代には食育・食養の祖と称された石塚左玄が登場。彼は代々医者の家系でしたが、幼い頃から虚弱で、何をどのように食するのが健康維持のために良いのかなど食養について研究。栄養学がまだ学問として確立していない時代に食物と心身の関係を理論化し、医食同源としての食養を提唱しました。

 石塚左玄の食養学には、「食本主義」(心身の病気の原因は食にある)、「人類穀物動物論」(人類は穀食動物である)、「身土不二」(その土地に合った食事をとる)、「陰陽調和」(陽性のナトリウムと陰性のカリウムのバランスが崩れると病気になる)、「一物全体」(一つの食べものを丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる)などが書かれています。これらは今、私たちが料理教室などで伝えている大切なポイントです。

 そして、その弟子の人である桜沢如一は石塚左玄の「食物養生論」と東洋思想のベースである陰陽論を組み合わせた玄米菜食という食事法を提唱し、マクロビオティクとして体系化、久司道夫がボストンを拠点にマクロビオティックを拡げます。ジョン・レノンやマドンナ、マイケル・ジャクソン、ジョン・デンバーなど海外のアーティストたちがマクロビオティックに傾倒し、世界的にマクロビブームが起きました。

余呉湖近くに建っていた古民家を移築した自宅にて

母乳とアトピーについて考える

 自身についてお話しすると、短大で栄養学を学び、外科医院の栄養士としてスタート。その後、栄養指導できる病院に移り、糖尿病の栄養指導も行っていましたが、しだいに栄養学に疑問を感じるようになり、有害食品研究会に参加したのをきっかけに伝統的な食養について勉強しました。
 
 1981年に長男を出産。母乳育児が大切だと考えていましたが、なかなか母乳が出なくて夜泣きされて大変でした。また、長男はひどいアトピー性皮膚炎を発症。当時、アトピー性皮膚炎が大きな社会問題となっていて2人に1人くらいの発症率でした。でも、私は妊娠中にはアレルゲンとなりやすい牛乳も卵も避けていたのになぜ?との思いでした。そこで、改めてアトピーと母乳について考えようと、桶谷式母乳育児を行っている人を対象に、乳質を良くする母乳育児のための料理教室をわが家で開きました。桶谷式母乳育児とは、助産婦・桶谷そとみが考案した乳房マッサージと母乳育児方法で、母親に苦痛を与えず乳房の調子を整える独自のマッサージ方法です。

 第二次大戦敗戦から70数年、時代の変動とともに食生活も大きく変わりました。昔は、ごはんと味噌汁、豆や根菜、魚、海藻などを使った副菜が一般的な日本の食卓でした。しかし、1960年頃からこの食卓風景は大きく変わります。朝はパン食という家庭が多くなり、加工食品やインスタント食品が増え、肉、卵、乳製品、砂糖、油脂を多く使った料理が並ぶようになりました。スナック菓子や甘いお菓子、ジュースやドリンク類などのし好品もTVコマーシャルなどによって急激に広がっていきます。このような食の変化が私たちの身体の陰陽バランスも崩すようになり、食物アレルギーが深刻な問題となっていきました。

 牛乳・乳製品は今ではカルシウム供給源として定着していますが、体質に合わない人が多く、牛乳を飲むと下痢をするという人も少なくありません。牛乳中の乳糖を分解する消化酵素・ラクターゼの分泌が少ないためで、アレルギーも多くなっています。学校給食で牛乳が提供されたり、妊娠中の栄養として牛乳が勧められますが、私は無理に飲まなくていいよと言っています。

陰陽調和料理の研究と普及

 アトピー・アレルギーと付き合うことは「食養」の見直しにもなりました。食養料理では塩や油、ごま、根菜類を多く使います。私自身もごまや根菜ばかり使っていました。これらがアレルギー症状として出たのですね。いくら体に良い食べものでも偏りがあってはいけません。食品のとり方によっては健康にもなるし、害にもなるということを思い知らされました。そこで、油を使わず旬の野菜をたっぷり使って陰の食材から順に重ね、ふたをして煮るという「陰陽調和の重ね煮」を実践しました。重ね煮については以前に学習していたのですが、その良さが本当にはわかっていなかったのですね。母乳育児では、母親が身体に良いものを食べれば良い質の母乳が出て、その母乳が子どもを元気にしてくれることも実感しました。

 当時、アトピー・アレルギーの情報はさまざまで、多くの人たちが振り回されている状況でした。厳しい除去食でやせ細った子もいました。そこで、アトピー・アレルギー教室を開き、「アトピー料理ブック」を出して好評を得ました。ある時、アトピー食パーティを開いたことが雑誌で紹介され、その食事がおいしそうできれいだと話題になったことがあります。それで、教室は大人気となって何ヵ月待ちという状態になりました。

 また、各地からの要請で料理指導にも赴きました。毎年秋には北海道一円を回りました。当時、北海道には重症のアレルギー症状で苦しむ人たちが多かったのです。冬の北海道は暖房で部屋を温める上に、新鮮な野菜に恵まれず、加工食品やインスタント食品への依存率が高くなるなど不自然な食環境が原因でないかと思います。反対に暑い沖縄ではアレルギー症状の人は少なかったです。自然に沿った暮らしがいかに大切かということですね。不自然なライフスタイルはお腹にストレスを与え、それがいろいろな病気のベースになってしまうのです。

おいしく食べて健康な日々を過ごす

 社会的な要請もあり、アトピー・アレルギーと向き合った日々が続きましたが、改めて、私は何をすべきかと考えました。私が「食養」を学んだ当時の大先輩たちが主としたのは病気を治療するための療法でした。でも、人間は元気になるといろいろなものを食べたくなります。そこで、私がしなければならないのは、毎日の家庭料理としての食養を進化させることではないかと考えました。

 そこで、年に食と健康を考える仲間たちとともに「いんやん倶楽部」を創業。1991年に料理教室では、季節に沿った暮らしのなかで旬のものを食べる、地域でとれたものを食べる、生物進化に沿った食べ方をする、できる限り安全な食材を食べる、などを基本とした「陰陽調和の重ね煮」を中心とした料理と理論を指導しています。

 陰と陽については、神羅万象のすべては陰と陽という対立した二つの要素が一体化して成り立っているという東洋哲学の基本思想です。私たち人間も自然界に生きる1つの存在で、自然から与えられたものをいただくことで命が支えられています。陰陽調和の料理は、体を温めてくれる陽の食材、体を冷ましてくれる陰の食材が鍋の中で本来のエネルギーを発揮して対流を始め、鍋の中に小さな宇宙をつくる「重ね煮」を利用した料理です。この一品は、私たちの身体をその季節と一体化させ、冬の寒さ、夏の暑さから身体を守ってくれます。

 食養生とは、まず家族がおいしく食べて健康な日々を過ごせるような家庭料理が基本です。つまり養生家庭料理ですね。「養生家庭料理」の知恵としては以下の3点を提案します。
①日本の伝統食を見直し、毎日の食事の基本は、ごはんと味噌汁を中心に魚、 海藻、旬の野菜と発酵食の漬物
②伝統食の1つとして、旬のものを1つの鍋で炊き合わせる、「陰陽調和の重ね煮」
③昔ながらの台所にある食材を使った手当で体調を整える。

何をどう食べるかに向き合う

 人間も大自然の中の1つの生きものという視点が養生学におかえる大切な視点です。地球上の1つの生きものとして何をどう食べ、どう生きるかですね。人間は進化の過程ではもっとも新しい生きもの、最後に地球上に誕生した生きものです。ですから、草食動物や肉食動物などすべての生きものの遺伝子がインプットされています。そして、動植物のたくさんの命をいただいて生きています。  

 何をどう食べたら良いのか。この疑問に対する答えは、意外にも口の中にあります。私たちの歯は、臼歯が20本、切歯が8本、犬歯が4本です。臼歯は臼の形で縁がやや高く、中が少しくぼんでいて、上下の歯を嚙み合わせると、穀物や豆類、木の実などをすりつぶして嚙みこなすのに適した構造です。切歯は野菜やいも類、海藻類を噛み切る歯で、犬歯は魚介類や肉を嚙みちぎる歯です。歯の働きから考えると穀物5、野菜2、魚介類1の割合となります。長い進化で獲得した5対2対1の食べ方こそは人間本来のものといえるのではないでしょうか。

 昔から胃腸の弱りは万病をつくるという言葉があります。小腸と大腸には食べものの消化・吸収とともに内分泌系や免疫系、さらに神経系も存在しています。まず、ごはんで胃腸を整えましょう。胃腸が強くない人は玄米ではなく白米から始めます。米は栄養バランスが良く、生命力も強く、体にエネルギーを与えてくれる食物です。陰陽のバランスもとれています。特に玄米は一物全体食を摂るうえでも理想的な食材です。

 思えば、実に多くの方々に教えをいただいてきました。そして、指導を受けながら、いつも私は何ができるか、何がしたいかを考え続けてきたように思います。私にできることは、身近にある食材やや材料を使って家庭でできることをしっかり伝えること。薬や医療に頼る前に家庭でできることはたくさんあります。食べて生きること、体を養うことは身体がこの世にある限り続けていかなければならないことです。人間は地球上の1つの生きものであるという視点を忘れず、先人たちの教えも大切にしながら、「食べること」に真摯に丁寧に向き合いたいものです。

取材・まとめ 高橋もと子

参考・引用:『陰陽調和で考える いのちを養う食の基本』梅﨑和子著 新泉社

10 月よりコープ自然派HP にて、梅﨑和子さんのコラム「いのちをはぐくむ離乳食講座」がスタートします。

Table Vol.506(2024年10月)

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