2024年4月8日、コープ自然派事業連合と社会福祉法人コープ自然派ともには福祉の学習会を共催。大阪大学教授の村上靖彦さんにケアを軸としたコミュニティづくりについて話を聞きました。
村上 靖彦 | MURAKAMI Yasuhiko 1970 年東京都生まれ。2000 年基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第7大学)。現在、大阪大学人間科学研究科教授。主な著書に『摘便とお花見 看護の語りの現象学』(医学書院)、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)、『ケアとは何か』(中公新書)、『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』 (朝日選書)、『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)など。
こどもの里という「居場所」
大阪市西成区は、釜ヶ崎(あいりん地区)と呼ばれる国内最大規模の日雇労働者が集まる街があり、区全体の生活保護率は全国平均の約15倍、社会的に困難な状況にある人が多く住む地域です。
2016年、釜ヶ崎にある「こどもの里」を取り上げた『さとにきたらええやん』という映画が公開されました。こどもの里は1977年に子どもの遊び場としてスタートましたが、集まってくる子どもやその親のニーズに合わせて、ファミリーホーム、自立支援施設、借金や家庭内暴力から逃げてきた行き場のない子どもたちのステップハウスなど、少しずつ支援の形を広げてきた子どもたちの「居場所」です。
映画に登場する子どもたちは、家庭で生活しながら支援を受けている外国籍の親を持つ子どもたち、4歳からこどもの里で育ちながら精神疾患を持つ母親と交流を続ける子、週の半分を家庭で、残り半分をこどもの里で過ごす子などさまざまです。こどもの里はいつでも目の前の子どものニーズに応じて、子どもたちを守ってくれる。困ったらこどもの里に来れば受け入れてもらえる。その信頼が『さとにきたらええやん』という映画のタイトルに表れています。
子どものいのちと権利を守るために
1989年国連総会において「子どもの権利条約」が採択され、日本も1994年に批准しました。この条約では、子どもが命を守られること、育ちにおける基本的な環境や機会に差がないこと、自分の意見や気持ちを言う権利、子どもにとって最もよいことを第一に考えることなど、子どもがひとりの人間として人権を守られるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。
しかし、現実には虐待や貧困、親の病気や不和など、子ども時代に逆境を体験する人も多くいます。大阪大学准教授の三谷はるよさんの研究によると、このような逆境体験は「ACEs(※)」と呼ばれ、脳の発達への影響や、依存症や身体疾患のリスクの増加、さらには短命になる傾向まであるそうです。困難な状況に生まれても子どもたちのいのちと権利が守られるために、周囲の人にできる支援のヒントが西成にあります。
(※)ACE・・・Adverse Childhood Experiencesの頭文字をとったことば
制度ではなく、個々のニーズに合わせる
西成にも困難な状況やヤングケアラーの経験を持つ子どもたちは多くいます。しかし村上さんは、そのような子どもたちが意外なほどのびのびとしていることに気づきます。それを支えているのは、制度にしばられることなく自発的に協働してきた支援の仕組み。「子どもたちはしんどい状態で育っていますが、小さいときから街の人たちが家に入ってサポートする仕組みが西成にはあるからでしょう」と村上さんは話します。
例えば、こどもの里が「保育園への送迎支援」としてシングルマザーの親子に関わるようになったケースでは、実際に子どもを迎えに行ってみると保育園に行く準備ができていない、それどころか母親が起きてもいなくて、部屋の中はごみ屋敷状態という場合もあり、母親と話す中で「家庭内の生活支援」や「病院や役所への同行支援の同行支援」へとサポートが広がっていきました。
西成でやっていることはとてもシンプルで、まず、目の前の人の話を聞いて、そのつど個別のニーズに応えます。困っていることはさまざまなので、自発的にフレキシブルに支援の仕方は変わっていきます。そして、子どもの里のようなみんなが来ている場所があるので、心配な家庭を網羅的にケアすることができるのです。さらに、この仕組みは支援者間の連携が生まれるため「支援者の支援」としても機能しています。
「子どもも、母親も、支援者も孤立させないことがポイントです。支援者が制度にしばられることなく、個々のニーズに応じて自発的に支援の仕組みを創造し続け、協働する。まちづくりとリンクしているのです」と村上さんは話します。
すき間を見つける
また、こんな例もあります。ある日、児童館に勤めるNさんのもとに、近所に住む人から電話がかかってきました。「うちのアパートに、どうやら路上で寝ているような10代らしき子がいてるんやけども、先生やったら何とかしてくれるかな」。実はその少年はNさん自身も何度か街中で見かけたことがあり、気になっていた少年でした。電話をきっかけに声をかけてみたところ、実は泊まるところがなく路上生活をしていたということが分かり、支援につなげることができました。
地域の人が電話をかけた先が、警察でも路上生活者支援のNPOでもなく児童館に勤めるNさんだったのは、普段から交流があり、この人なら何とかしてくれるかもしれないと思ったからです。SOSをキャッチするアンテナを持つ人たちが職業や専門の枠を超えて連携し、みんなで見守る関係性が、すき間に落ちそうになっていた17歳の少年の命を守ることにつながりました。
「居場所」の存在
また別の例では、こどもの里の支援を受けながら子どもだけで生活していたケースもあります。小学生だったOさんは、母親が出ていってから二人の弟と生活をしていました。保育園の送りはOさんがして、迎えはこどもの里のスタッフにしてもらう。食事は家でつくったりこどもの里で食べさせてもらったり、時々は子どもの里に泊まることも。こどもの里のスタッフが後見人の形をとることで、施設に入るのではない選択が可能になりました。その後も、Oさんは保育園児の弟たちの面倒を見ながら学校とアルバイトを両立するという相当大変な毎日だったはずですが、当時を振り返って「自分にとってのこどもの里は、居場所というか、安心、安全な場所やったなと思いますね。実家みたいなもので、こどもの里がなかったらどうなっていたか分からない」と。
村上さんが西成でヤングケアラーを経験した人たちにインタビューをすると、必ず「居場所」の存在に言及するそうです。一方、西成以外の場所でヤングケアラーの経験をした人から「居場所」ということばを聞くことはほぼ皆無。「居場所」がなかった人のなかには、非常に孤独な環境に置かれ、40代になっても当時の辛い気持ちがフラッシュバックして苦しんでいる人もいます。頼れる場所の有無がACEsの心の傷の深さに影響するようです。
「居場所につながっているからこそ、困難に陥ったときにSOSを出して頼ることができます。支援の手前に居場所があることが重要です」
みんなで育てる
「にしなり☆こども食堂」の川辺康子さんは、子どもはもちろん、「あの親はもうとんでもない親や」と言われているような母親たちからいろんなことを教えてもらっていると言います。ある母子家庭の若い母親は、生活保護を受けて暮らしていて、無気力で「もう私なんかどうでもいいし」という言葉が口癖のような人でした。ところが、こども食堂で他の子どもたちと関わるなかで「自分は一人じゃない」と思えるようになり、周りの子どもたちが自分の子に声をかけてくれる様子を見て、「私たち親子は孤独じゃない」と思えるようになっていきました。川辺さんは自分が当たり前に常識だと思っている「モノサシ」で相手を測ってしまっていたことに気づきます。「人を見るモノサシ」を外してはじめて、その人の真の力を発揮させるサポートが可能になるのです。
かすかなSOSへのアンテナ
こどもの里のような「居場所」は、子どもの声を聞く場所です。子どもたちは、学校でも家でも発することができない声を、ここでは聞いてもらうことができます。対して支援が必要な人に支援者側から働きかける「アウトリーチ」では、母親の声を聞くことができます。母親も声を発する場所がなかなかありません。避難場所としての居場所と、生活支援としてのアウトリーチ、両方合わせて子どもの安全を確保することができます。
「わかくさ保育園」では簡易宿泊所を回って学校に通えていない子どもを見つける活動を行っていたり、行政でも母子訪問事業、子育て相談室、生活保護のケースワーカー訪問、学童サポート事業など、支援者側から支援を届ける活動を続けています。このような複数の支援が重層的に存在し連携していることが、すき間を減らしていくためにとても大切です。
「どんなきっかけからでもいい、関係をつないでいくことで、かすかなSOSをキャッチできるようになります。そして、当事者のSOSのサインが受け止められ、試行錯誤のなかで対応されたとき、ケアがはじまります」
まずは当事者の声を聞くことから
看護の理論家であるジョイス・トラベルビーは「ケアとはコミュニケーションを絶やさない努力だ」と書き記しています。SOSを出しづらい人の声をどう拾うのか。いま社会では、うまくいかないのは個人の能力の問題だと自己責任にされ、全員がセーフティネットのない綱渡りをしているような状況です。子どもや障がい者に対しても、社会の側からの支援を考えコストに合わないからと排除しがちです。
「発想を逆転させて、社会的に弱い者の場から社会をつなぎ直すことが必要でしょう」と語る村上さんは、精神的な障がいを持つ人のサポートにも深く関わってきて、そういう人たちのつくってきた場に教えられ、生きやすくなったといいます。困難を抱える人たちを無視せず包摂できるコミュニティをつくるためには、西成で実践されているように、まず目の前の人の声を聞き、そのニーズに応じて支援する努力を絶やさないこと。ケアを中心としたコミュニティを作ることで、誰もが安心して暮らせる社会を実現していけるのではないでしょうか。
Table Vol.502(2024年6月)