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くらしと社会

「MINAMATA」上映会~アイリーン・美緒子・スミスさんを招いて~

3月12日(日)、コープ自然派兵庫(ビジョン環境主催)は、制作・主演ジョニー・デップの映画「MINAMATA」上映会を開催、映画に登場するアイリーン・美緒子・スミスさんにお話を聴きました。

脱原発の活動に40年以上取り組む環境ジャーナリストのアイリーン・美緒子・スミスさん。「311子ども甲状腺がん裁判」も応援しています。

「水俣」を撮り続ける

 2021年に公開され、日本でも話題を呼んだ映画「MINAMATA」。この映画はユージン・スミスさん(1978年没)とアイリーン・美緒子・スミスさんの写真集「MINAMATA」(1975年英語版・2021年に日本語版出版)が原案のドラマです。「映画制作の話は20年程前から2回ありましたが立ち消えになり、ジョニー・デップが主演とプロデュースを手がけることになって本格化しました。患者さんたちの長年の苦しみと闘いが伝えられることはとてもうれしかったです。でも、私には制作をコントロールする権限がなく、患者さんたちがどのように描かれるかが不安でした」とアイリーンさん。監督を水俣に招き、脚本家とも話し合いを重ねて映画制作はスタートしました。

 チッソ水俣工場(熊本県)から排出された有機水銀が原因の水俣病。その存在を世界に知らしめたのは、写真家ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんが1975年に発表した写真集「MINAMATA」でした。アイリーンさんは、米・スタンフォード大学在学中にユージンさんと出会い、結婚後すぐに水俣に移住、ともに水俣病の問題を取材し、写真を撮り続けました。二人が水俣で暮らしたのは1971年から1974年まで、今からちょうど50年前です。

 映画には水俣病患者の運動体「チッソ水俣病患者連盟」委員長・川本輝夫さんが登場しますが、アイリーンさんは映画化されたら川本さん役は真田広之さんしかないとずっと心に秘めていたということです。

映像が伝える「水俣事件」

 映画「MINAMATA」は2020年にベルリン国際映画祭で公開されました。上映終了後、アイリーンさんが代表を務めるグリーン・アクション(脱原発と温暖化防止を目ざす市民団体)は水銀問題に取り組む国際団体・IPENと連携して参加者にチラシを配布しました。「先進国の日本でこんなことが起きていたとは知らなかった」と話す人、あまりのショックでチラシを受け取れない人、周りの人たちにも知らせたいのでチラシをたくさんほしいという人などさまざまな反応でしたが、映画によって「水俣」を知った人が大半でした。

 水俣でも若い人たちのつながりで上映会を開催。一方で、「水俣病を早く終わらせてほしい」「水俣の明るい部分をもっと知らせてほしい」という声もあり、それは福島原発事故とも重なります。原発事故から12年、事故時6歳から16歳だった子どもたちが「3.11子ども甲状腺がん訴訟」を起こしましたが、「せっかく福島では復興に頑張っているのに」などとネット上でのバッシングがあります。「被害者同士が分断される状況がつくられますが、裁判の闘いを応援することと被害を受けた地域の復興に頑張っていることは相反するものではなく、どちらも大切にされるべきです。そうすれば相乗効果でみんなが元気になるのではないでしょうか。みんなが支えられるよう応援していくことが大事だと思います」とアイリーンさんは話します。

私たちに問われること

 アイリーンさんとユージンさんが水俣で撮影した写真を示しながらアイリーンさんのお話は続きます。「裁判勝訴や株主総会でのシーンなどを伝えることはエンパワメントになると思います。この裁判によって日本中から公害が減少するという恩恵を受けたのですから」とアイリーンさん。そして、ユージンさんと過ごした5年間、彼からとても大切なことを学んだと話します。そのひとつとして、ジャーナリズムはあるがままをフェアに正直に伝えること、それを成し遂げるためには信念を曲げず、諦めない姿勢が必要だということ。そして、フォトジャーナリストには写真を撮られる側と写真を見る側の双方に対して責任があるということです。ジャーナリズムと芸術は相反するものではないということも知りました。また、若い人たちに何かを伝えるには、こんなことができるという成功体験を示すことが大切だとアイリーンさん。22歳だったアイリーンさんにとって裁判勝訴のシーンはいつも胸の内にあるということです。

 「これらの写真は患者さんたちがためらいながらも『水俣』を知らせるために撮影を許してくれたから生まれたのです。写真は日本がこれからどう進むかを問いかけています。環境問題は人間と自然のゆがんだ関係、人間と人間のゆがんだ関係の具体化です。私たちは本来の幸福とは何か、富とは何かを問われています」とアイリーンさん。幼かった子どもたちが60年経っても水俣病と認定されず、今なお1500人を超える人たちが訴訟を起こし、熊本、東京、大阪の3地裁で裁判が続いています。

 そして、最後の1枚の写真は、福島の子どもたちが年間20ミリシーベルト基準撤回を求め文科省と交渉しているシーンでした。「私たちは子どもたちを守らなければならない。そのためにはつながり合うことが大切、生協の役割は大きいです」とアイリーンさんは結びました。

Table Vol.487(2023年05月)より
一部修正

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