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くらしと社会

【後編】平田オリザさんに学ぶ!ホントのコミュニケーションとは?

司会・進行を務めたコープ自然派おおさか・大西理事

さまざまな局面でコミュニケーションの在り方が問われます。コミュニケーションとは?また、どんなコミュニケーションが求められるのでしょうか。
2022年2月11日(金・祝)、コープ自然派おおさか(ビジョンいろいろ主催)は劇作家・演出家の平田オリザさんから「ホントのコミュニケーション」について学びました。本記事は後編です。(前編はこちら)

劇作家・演出家として世界的に活躍する平田オリザさん。東京の「こまばアゴラ劇場」を拠点に活動してきましたが、自ら主宰する劇団「青年団」とともに2019年に兵庫県豊岡市に移住。現在、芸術文化観光専門大学の初代学長を務めています。

コンテクストの「ずれ」

 どんなつもりでその言葉を使ったのか、その全体像をコンテクストと呼びます。コンテクストの「ずれ」はコンテクストの「違い」より落とし穴になりやすいとのこと。130年前のロシアの劇作家・チェーホフのせりふにはまったく意味がわからない言葉がたくさん出てきます。例えば「銀のサモワールでお茶を入れて」というせりふ。サモワールは日本ではなじみがありません。このセリフが出てきたら俳優は必ずサモワールについて調べます。一方、「旅行ですか」というようなセリフは簡単な言葉ですが、高校生にとっては日常生活にはない言葉です。コンテクストの「ずれ」は、文化的な背景が異なるコンテクストの「違い」より、その差が見えにくいため、コミュニケーション不全の原因になりやすいということです。

 これは異文化理解でも同様で、隣国同士の仲が悪いのは文化が近すぎたり、共有できる部分が多すぎるため、「ずれ」が積み重なって衝突を起こすことがあります。例えば、日本人は訪問先では靴を脱ぎ反転させてそろえますが、韓国人はこの行為を「そんなに早く帰りたいのか」と嫌がる人もいます。しかし、これは靴を脱ぐという文化を共有しているから起きる摩擦で、欧米人だと靴を脱ぐところから始めなければなりません。靴を反転させてそろえるのが美しいというのは日本人固有の文化で、これを他国の人に強要する合理性はありません。欧米人が脱ぎ散らした靴をそろえる時にいやな気持ちにはならないのは、靴を脱いで家に上がるという文化がないことを知っているからです。しっかり交流して「ずれ」を認識することがコミュニケーションの出発、異文化間の交流の1つのポイントだと平田さんは話します。

本当に伝えたかったこと

 小学校1年生くらいの子の親という設定のワークショップ。その子がうれしそうに学校から帰ってきて、「今日、宿題して行かなかったのに〇〇先生、全然怒らなかったよ」と言ったとします。そのときどう答えるか。コンピュータにこの発言をインプットすると2つの情報が伝わります。1つは「宿題をやらなかった」、もう1つは「にもかかわらず怒られなかった」です。しかし、子どもが本当に伝えたかったことは〇〇先生がやさしいことです。この場合、「〇〇先生はやさしいね、でも、明日は叱られるかもよ」と答えるのが良いとされます。先生が好きなら好きって言えばいいのにと大人は思いますが、子どもたちは「宿題の話」で伝えようとします。その気持ちが理解できるのは人間だけです。

 ホスピスに末期がん患者が入院してきました。妻がつきっきりで看病しています。この患者に解熱剤の投与をするのですが、妻が看護師に「この薬、効かないようですが」と質問します。看護師は薬について説明し、妻は納得するのですが、翌日もまた翌日も同じ質問をします。看護師たちは困っていたとき、ベテラン医師が訪れ、妻が「どうしてこの薬を使わなければならないのですか」と食ってかかると、何も説明せず「奥さん、つらいね」と言いました。妻は泣き崩れますが、翌日から二度とその質問をしなくなりました。ホスピスは治らない患者が充実して過ごすための医療施設です。余命をどう過ごしたいか理路整然と説明できる患者や家族は稀で泣きわめいたり、逆切れされたりする場合がほとんどです。また、気持ちも刻々と変化します。

 子どもに代表される社会的弱者はコンテクストでしか物事を伝えられません。論理的に話せない人たちの気持ちをくみ取り、コンテクストを理解する能力を持つことが大切、平田さんはそんな学生を育てたいと強く思っています。

環境づくりを問う考え方

 「旅行ですか」と話しかけるかどうかは「相手による」ということでした。しかし、Cさん役の人は話しかけられやすい演技とはどうしたら良いのでしょうか。こういうことを関係向上の問題としてとらえようと1990年代以降に新しい演劇教育やコミュニケーション教育が考案されました。発話がうまくいかない場合、その原因を個人にのみ帰するのではなく、話しかけやすい環境になっているかを問うという考え方です。大阪大学コミュニケーションデザイン・センターはこのような哲学・思想によって設立されました。

 医者の説明も大切ですが、同じくらい大切なのは、例えば、患者が医者に質問しやすいような椅子の配置になっているか、壁の色はどうか、受付から診察室までの道のりはどうかなどのデザインの問題。医療過誤が起きにくい組織になっているかなど組織や情報デザインの問題、さらに建物自体が威圧していないかなど建築デザインの問題、交通アクセスなど街づくりの問題。このように原因と結果を一直線に結び付けない考え方をコミュニケーションデザインと呼び、さまざまな場所での応用が可能です。

「同情」から「共感」へ

 シンパシーとはかわいそうな人がいたら同情する感情。エンパシーとは異なる価値観や文化的背景を持つ人がなぜそうしたのか、なぜそう考えたかを理解することです。エンパシーを育てるには他者を演じることで他者を理解しようとする演劇教育は有効だということです。

 いじめのロールプレイが小中学校で行われています。そのとき「いじめられた子の気持ちになってごらん」と声をかける教師がいますが、いじめられた子の気持ちは簡単にはわかりません。しかし、いじめっ子の側にも他人から何かされていやだった経験はあるはず、その気持ちと結び付けてあげるのが本来のロールプレイです。「シンパシーからエンパシーへ、同情から共感へ。医療や福祉・教育の現場で患者や障がい者の痛みや苦しみを何らかの形で共有できるはず、私たち一人ひとりにもそれに近い痛みや苦しみがきっとあるはずだから」と平田さんは話します。

命の質を保障する政策を

 コロナ禍では国や民族の弱い部分が露呈しました。アメリカは貧国層から感染が拡大し、イタリアやスペインは緊縮財政のつけが医療崩壊を起こしてしまいました。日本はここまでは感染者とくに死者の数は先進国において少ない国でしたが、人心が疲弊してしまいました。
 
 コロナ禍では、音楽や演劇、ミュージカルなどに携わる多くの人たちが失業し、テレビで窮状を訴えるとネットで非難されました。命の方が大事だと。「命は等しく大切ですが、命の次に大切なものは一人ひとり違います。音楽で人生を救われた人もいます。映画や演劇で勇気をもらった人もいるはずです。また、学生たちは学ぶ権利を奪われ、それに対するケアが行われていません。憲法25条では、健康で文化的な生活を享受する権利が国家から保障されています。私たちはただ生きるだけでなくより良く生きる権利をもっています。これからは命を守るだけでなく、命の質を保障してくれるような政策が必要になるのではないでしょうか」と平田さんは話しました。
※引用書籍「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か~」(平田オリザ著・講談社現代新書)

Table Vol.461(2022年4月)より
一部修正・加筆

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