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食と農と環境

女性たちのパワフルな活動の歴史を語る(コープ自然派事業連合・初代理事長 大川智恵子さん)

タブル500号発行を記念して、コープ自然派事業連合・初代理事長の大川智恵子さんに、女性たちの活動を中心にコープ自然派の歩みについて聴きました。

コープ自然派事業連合初代理事長の大川智恵子さん。

よつ葉牛乳の共同購入から

大川 第二次世界大戦後、世界的に工業化が進み、やがて日本では高度成長期へと入ります。一方で、森永ヒ素ミルク、水俣病、カネミ油症など薬害や公害による深刻な被害が次々と発生しました。
 1974年から1975年にかけて、有吉佐和子さんの長編小説『複合汚染』が朝日新聞に連載されました。その後、1975年に出版された単行本はベストセラーとなります。農薬、食品添加物、工場排水、排気ガスなど複合的な毒性物質がもたらす恐るべき危険性を描いたこの小説はとりわけ子育て中の女性たちに大きな衝撃を与え、安全な食べものや石けんを共同購入する活動が全国的に展開されました。
 1976年、関西では、女性たちが中心となって「よつ葉牛乳関西共同購入会」を設立。北海道からよつ葉牛乳の紹介のためにやって来た1人の男性との出会いがきっかけです。よつ葉牛乳は市販牛乳より格段においしく、どうしてこんなにおいしいのか尋ねると、「草を食べ放牧するという牛の飼い方が大切で、これが本当の牛乳です」と。配られたチラシを読むと、おいしい牛乳は農業問題とつながっていて、農業は私たち消費者が国に任せたままでいるとどんどん荒廃していくと書かれていました。そして、このおいしい牛乳を手に入れるには共同購入しかない、関東ではすでに共同購入グループがたくさんつくられていると聞き、女性たちは近所の人たちとグループをつくりました。四国では「徳島暮らしをよくする会」などのグループが誕生しました

安全な食べものを「産直」で

大川 1976年によつ葉牛乳関西共同購入会が設立されて1〜2年後、よつ葉牛乳を製造する北海道農協乳業(株)がLL(長期保存)牛乳を製造するということで「LL牛乳要冷蔵規定撤廃」反対署名に取り組みました。また、反対集会やデモ、農水・厚生省(当時)交渉などが全国的に行われ、さまざまなグループや団体とつながりました。そして、この運動はのちに低温殺菌牛乳(パスチャライズ牛乳)やノンホモ牛乳の製造を実現させ、NONGMO飼料牛乳や放牧生産者指定牛乳への道筋をつくることになります。
 関西・四国とも共同購入会では牛乳以外にも安全な食べものを手に入れようと自分たちで生産者を探し、「産直」という形で生産者とつながっていきました。「援農」や生産者との交流は盛んに行われ、生産者・消費者の垣根を超えて、子どもたちも農業の手伝いをする活動は定着していました。そして、食べものから暮らし全体を見直し、政治や社会に働きかける運動へと広がっていきました。

食べものから政治や社会を見直す

大川 1986年にチェルノブイリ原発事故が起き、幌延核処理施設計画に反対するため北海道訪問キャラバンを実施。1988年には「暮らしのなかから、反原発を!」とのスローガンを掲げて伊方原発出力調整実験(四国電力)反対行動に会員や職員は子連れで参加しました。
 能登半島に建設されようとしていた志賀原発に反対する西海漁協(現・石川県漁協西海支所)の魚の産直にも取り組みました。魚を引き取る時には現地の漁協に職員と会員が出向き自分たちで箱詰めして車で運び、各グループの拠点にグループ分の魚を届けました。会員はそれを引き取り、深夜まで魚さばきに取り組んだというエピソードは今も語り継がれています。
 反公害の運動では水俣の生産者とつながり、水俣ひとり芝居の公演を何度も企画。「水俣病発生30年関西からの叫び」などのイベントは大好評でした。
 窪川原発反対運動から誕生した高生連(高知県)、減反に反対して闘ってきた庄内協同ファーム(山形県)など、地域で闘う生産者とも産直を通してつながりました。
 そして、会員、職員、生産者がとにかくよく語り合いました。商品の導入や会の運営、それぞれの関係性など安易に妥協せず議論し、原点を明らかにする過程を常に大切していたと思います。思い起こせば、特に女性たちは行動でも議論でも本当にパワフルでしたね。

共同購入会から生協へ

大川 1990年代になると共働き世帯が過半数を超え、専業主婦が中心だった共同購入会は運営が困難になってきました。さらに、理念を先行するあまり、購入システムや商品開発、組織運営が時代の変化に対応できなくなります。
 よつ葉牛乳関西共同購入会は(株)生活ネット・たがやす会として組織を再編、その後も試行錯誤を重ねました。一方、四国の共同購入会は徳島で生協を立ち上げ、順次、香川、高知、愛媛と続きます。そして、1994年に四国共同事業センターを設立し、徳島で生協の個人宅配がスタート。コープ四国共同事業センターと関西の(株)生活ネットが合併してコープ自然派事業連合を設立し、2002年に生活協同組合連合会コープ自然派事業連合が正式に認可されました。その後、事業連合本部を徳島市川内町から大阪市西区へ移転、2008年には神戸市西区に移転し現在に至ります。
 生協を設立してからは大規模生協と異なる存在価値を求め、事業規模が大きくなるにつれて資本の論理で動いていく危険性を常に検証していました。

今こそ問われる生協の役割

大川 コープ自然派では、食の安全から政治・社会について考え行動することを共同購入会時代から基本としています。有機農業推進、食品添加物の削減、遺伝子組み換え・ゲノム編集反対、ネオニコチノイド系農薬反対、脱原発などの運動は組織的に行われています。組合員による商品開発への参画(連合商品委員会・連合産直委員会)、産地交流なども活発です。また、情報開示を基本として機関紙やパンフレット類で積極的に情報発信しています。福島原発事故後はいち早く放射能測定を開始し、四国・関西への避難者のみなさんが多数加入されました。そして、さまざまな課題での学習会、講演会、映画会、署名活動、パレード参加など組合員の活動は目を見張るものがあります。
 生協は弱者の立場に立つこと、地域のことを知り、地域に貢献するという役割があります。
 今、「学校給食をオーガニックに」という動きがコープ自然派でも活発になっていますが、貧困世帯の子どもたちにとって、せめて給食だけは安全なものを食べてほしいと願います。

大川さんが大切にしていることは地域主権。地元・茨木市で仲間たちと有機農
業に挑戦し、学校給食への有機農産物の供給などをめざしています。

当面の課題と目標とは

大川 近年、世界的に生協の役割が見直され、日本でも「公共」の大切さが指摘されるようになりました。そんな時代にあって、組合員・職員一人ひとりが生協の役割について認識することはとても大切です。
 当面の課題としては、少子高齢化社会に対応する商品政策や地域コミュニティへの関与、地域で活動するNPOなどとの連携、組合員の事業や活動への主体的参加、事業部門での効率的な運営と低価格を維持する経営努力などでしょうか。さらに、世の中は男女半々、役職員に女性が半数を占めるような組織づくりも課題となります。女性たちのパワーがコープ自然派を創ってきたと言えるのですから、経済的自立のためにも女性たちがもっと経営に参画し、役職員に登用されるべきです。また、暮らしに根差した女性たちが持つ多様な価値観や視点は民主的な運営をめざす生協にとって不可欠な要素だと言えるのではないでしょうか。
 生協には生活者教育の場としての期待もあります。食や暮らしのあり方を選択できる人を増やすこと、それは今の状況について自身でしっかりと判断できることにも通じます。組合員も職員も政治や社会に対して語り行動し、コープ自然派がさらに力強く魅力的な生協となることを願っています。

Table Vol.500(2024年4月)

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