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くらしと社会

憲法「改正」で私たちのくらしはどう変わる?

2022年9月26日(月)、コープ自然派兵庫(ビジョン未来主催)は、久保田貢さん(愛知県立大学教員)を講師に講演会を開催(会場&オンライン)、憲法が「改正」されたら私たちのくらしはどう変わるのか、今、私たちは何をしなければならないかなどを考えました。

※イメージ

法的規制はとても大切

 「今日は憲法について3つの大きな話をします」と久保田さん。それは、①憲法はなぜ必要なのか②憲法はどのように誕生したのか③憲法が「改正」されたらどうなるのか、私たちはどのようなことをしなければならないのか、です。

 本題に入る前に、コープ自然派加入の動機を参加者に聴きます。「子どもに安全なものを食べさせたいから」という回答が得られ、「食」に関する法律「食品衛生法」を紹介。「法律には基本となる規制が設定されていますが、規制はとても大切、規制緩和が良いことのように言われますがとんでもない」と久保田さん。1973年に制定された「大規模小売店舗法」は大店舗をつくるとき、地元の中小売店と相談してつくらなければならないという法律ですが、アメリカはこの法律の廃止を強く要求、1991年に改正され、2000年には廃止されました。そして、巨大スーパーやショッピングモールがつくりやすくなり商店街は衰退しました。「食」についても規制が緩いと多くの企業は利益を得るために健康や自然環境などを考慮しなくなります。その結果、水俣病をはじめさまざまな公害病が発生。水俣病はメチル水銀による中毒性中枢神経系疾患で1956年に公式認定されましたが、現在もさまざまな裁判が続いています。

憲法を輝かせるために

 法律の根拠となるのは憲法で、それぞれの条文には規制をかける法律をつくらなければなりません。第三章「国民の権利及び義務」では、第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」などの条文があります。「しかし、日本の法律はまだまだ緩く、法律に基づいてつくられる施行令も緩いので私たちは運動しなければならないのです。コープ自然派で安全な食を提供するのは憲法を豊かにする運動とも言えます」と久保田さんは話します。

 「生業訴訟」とは、福島第一原発事故により生活や健康、人間関係などで被害を受けたことに対して国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟です。この訴訟は第13条「幸福追求の権利」、第22条「居住、移転及び職業選択の自由」などが根拠となっています。原発については、1955年に制定された「原子力基本法」がありますが、「原発は学術の進歩と産業の振興を図る」と定義されています。福島第一原発事故後、「原子力規制委員会設置法」が施行されましたが、「これも緩く、原発があること自体、健康や幸福を追求できません。原発はいらないと運動することで第13条や第22条を輝かせることができるのです」と久保田さんは話しました。

久保田貢さん
さまざまな映像が織り込まれてリアル感溢れる講演。会場からの質問をもとに、久保田さんは沖縄基地と地方自治、国葬の法的根拠、政治と宗教の関係などについても言及しました。

悲惨な戦争の反省から

 憲法は103条までありますが、第三章「国民の権利及び義務」は第10条から第40条まであり、全体の3分の1以上を占めています。そのうち、権利に関するものが大半で、アジア太平洋戦争の反省から生まれた憲法には自由と権利がしっかり書き込まれています。

 1895年、日本は台湾を植民地にした後、朝鮮半島を植民地にし、さらに、南満州鉄道の一部を爆破してそれを中国軍の仕業だと大軍を派遣(柳条湖事件)、満州国をつくりました。そして、多くの人たちを満州へと誘い、約27万人(兵庫県から約4400人)が満州に移住しました。さらに、中国全土を手に入れようと、1937年、北京郊外の盧溝橋から進軍( 盧溝橋事件)、当時の中国の首都・南京を陥落させます。南京では捕虜や市民を15万人~20万人虐殺しました(南京事件)。

 国内では戦争反対の声は徹底的に弾圧され、故・大橋巨泉は「ボクの父は戦争中、電車の中でこんな戦争早くやめればいいのにと友人に言っただけで憲兵にひっぱられ拷問されて傷だらけで帰ってきた」と。また、小説家・小林多喜二は「労働者もみんな平等だ」と書いたことで拷問され29歳で亡くなりました。1931年頃からつくられた「無産者診療所」(10県に23診療所)は数年後にすべてつぶされました。

 日本はその後、東南アジアに進出し、アジア・太平洋に利権をもつイギリスやアメリカと戦うことになります。アジア・太平洋戦争での死者は日本人約310万人、中国人1000万人以上、朝鮮人20万人以上と言われ、東南アジアでも多くの人たちが亡くなりました。オーストラリアには建国以来、初めて日本軍が攻撃したということで現地では毎年、追悼セレモニーが行われています。

 また、日本軍は連合国軍の捕虜を現地で酷使したり日本に連行し、国際法に反して重労働を強いました。朝鮮人強制連行・強制労働77万人以上、中国人強制連行・強制労働約4万人以上( 中国国内で4000 万人以上)、連合国軍捕虜はアジア各地で強制労働させました。

 1945年3月から沖縄戦が始まりました。沖縄は本土決戦に備えるための捨て石とされ、多くの人たちが自決を強いられました。また、各地で特攻隊が結成され、青年たちの命が失われました。長野県池田町に建てられた特攻隊員・上原良司の記念碑には、「自由の勝利は明白な事だと思ひます。明日ハ自由主義者が一人この世から去って行きます。唯願はくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願ひするのみです」との遺言が刻まれています。

戦争への絶対的な歯止め

 このような戦争の反省のもとに憲法がつくられ、第9条「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段と
しては、永久にこれを放棄する ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記。映画「火垂るの墓」の監督・高畑勲は「あの戦争を知っている人ならわかる。戦争が始まる前、つまり、いまが大切です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」と書き残しています。

 さらに、第25条では、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、第26条では「教育を受ける権利と義務」、第27条と28条では「働く権利」が記されています。第31 条から「身体の自由」について詳しく書かれているのは戦争反対を訴えて拷問が加えられたことへの反省です。そして、第12条には「この憲法は国民に保障する自由および権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と書かれ、私たちは不断の努力、つまり「運動」によって憲法を豊かなものにしなければなりません。

学習を深めることが大切

 「自民党改憲草案では自衛隊の明記と緊急事態条項の改正が挙げられていますが、いわばお試し改憲でこれを機に何度も変えようとするでしょう。そして、私たちの権利や自由はどんどん抑えられ、権力を抑制するという憲法の機能は麻痺するでしょう。だから一度でも改憲を許してはならないのです」と久保田さん。では、私たちは何をすべきか。「くらしと憲法がどのようにかかわっているのか学習を深めることです。学習することで希望を見出し、憲法とのかかわりをより深めることで憲法を輝かせるのです」と久保田さんは話します。

 今、子どもたちはアジア・太平洋戦争で多くの人たちが亡くなり、あるいは命からがら生き延び、戦争孤児がいたというようなことを学校で学習していません。「憲法はアジア・太平洋戦争の反省から生まれたのに、それがわかっていないのはとても怖いことです。私たちはアジア・太平洋戦争についてもっと学習し、憲法の大切さを知るべきです」と久保田さんは話しました。

Table Vol.475(2022年10月)より
一部修正・加筆

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