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生産者訪問・商品学習会

コープ自然派兵庫・「水俣」研修報告 PART1

2022年4月15日(金)・16日(土)、コープ自然派兵庫は理事研修を開催。今回は、コープ自然派の原点でもあり、三大公害病のひとつ「水俣病」の現地・水俣を訪ね、ここで何が起き、日本の現状とどうつながるかなどを学びました。理事のみなさんのレポートの一部を紹介します。

不知火海を背景に水俣病被害者互助会会長・佐藤さんとともに記念撮影。

水俣市立水俣病資料館

 まず、水俣市立水俣病資料館へ。ここは水俣病の歴史と現状を正しく認識し、悲惨な公害を再び繰り返してはならないとの切なる願いで水俣市と水俣病患者の関係者が建設、貴重な資料を収集保存し、後世に継承するために1993年に開館しました。公害学習・環境学習だけでなく、人権教育の場としても活用されています。「被害を受けた者が声をあげないとこの国は救ってはくれないんだよ」とは水俣病第一次訴訟原告の1人・浜本二徳さんの言葉です。

エコパークみなまた

 チッソ㈱水俣工場が海に流した水銀量は150t以上でした。熊本県はその処理のために、総水銀濃度25ppmを上回るヘドロや魚を2500本以上のドラム缶に詰め込み、海を埋め立てて汚染源の封じ込めを図ります。16年以上にわたる工事を経て生まれた58haの広大な埋め立て地は市民の憩いの場「エコパークみなまた」へと変貌しました。

 「エコパークみなまた」には「水俣病慰霊の碑」があります。水俣病が正式に公害認定されて50年を経た2006年に水俣病で亡くなった人たち(公式認定患者だけで死者約2000人)のために建てられました。不知火海に向かったところには水俣病患者たちとともに犠牲になった生きものたちの祈りの場としてお地蔵さんが祀られています。

「エコパークみなまた」の海岸沿いの一角にある「水俣病慰霊の碑」。

水俣病センター相思社

 1972年、ストックホルムで第1回「国連人間環境会議」が開催され、水俣病アピールが読み上げられました。その中で水俣病センター設立が呼びかけられ、カンパにより1974年に「水俣病センター相思社」が設立されました。全国から約3300万円のカンパが集まったということです。「相思社」は互いに思い合うとの意味で命名されました。

 「相思社」は患者の拠り所であり闘いの根拠地。また、潜在患者を発掘し、患者の側に立った医療機関の設立を目ざしました。さらに、水俣病に関する調査研究を推進する資料センター機能や若い患者のための共同作業所・相談の場となることも目的としました。

水俣病歴史考証館

 「水俣病歴史考証館」は「水俣病センター相思社」に併設され、漁業用具、当時の民家や人々の暮らしの写真、「怨」の旗、ネコ実験が行われた小屋、採取した水銀がたまったヘドロ、裁判の歴史、チッソ㈱本社前座り込み運動の写真などが展示されています。チッソ附属病院の細川医師は水俣病が廃液と因果関係があることをネコによる実験で解明しましたが隠蔽され、排水はその後10年以上も続き、被害が拡大しました。実験されたネコは838匹に及びます。「今なお続く負の連鎖。水俣から物事を見て考え、判断する、せめて私たちができることです。そして、商品とつながっていくことを生協として実践していきたい。便利で快適な暮らしをしてきた私たちの責任をしっかり感じて生きていきたい」と理事一同、決意を新たにしました。

チッソ附属病院で水俣病の原因究明のための実験に使用されていたネコ実験の小屋。

エコネットみなまた

 「エコネットみなまた」はJR水俣駅から車で5分ほど、山間に入る手前の静かな住宅街にあります。理事の松永邦雄さんにお話を聴きました。水俣病被害者、チッソ労働者、水俣市民54名の出資で水俣病患者が働く場として廃食油を利用した石けん製造を開始、環境保護を目的に「エコネットみなまた」を設立しました。現在は農産物部門を担う「はんのうれん(反農薬連)」とともに活動しています。

 2020年にはB型作業所を開所、現在12名が作業所登録し、水俣病患者、障害を持つ人、生きづらさを持つ人たちが働いています。石けんづくりには水俣市が分別回収した家庭用廃食油や期限切れの油を引き取って利用。以前は収集に回っていましたが、多いときで年間20tの廃食油を集め、石けんづくりの釜を焚くのにも廃食油を燃やしていました。ドラム式洗濯機の普及などで液体せっけんの需要減少から、今は1tの廃食油を使用し、小さなプラントで製造。廃食油を使うのは未来につながる暮らし方への提案を目的としています。

ガイアみなまた

 NO amanatsu, no life !!!「甘夏のない人生なんて、考えられない」が「ガイアみなまた」の合言葉。減農薬、有機肥料で育てた甘夏を販売し、甘夏からマーマレードなどの加工品を製造しています。高倉史朗さんは「水俣病センター相思社」を中心に水俣病被害者を支援してきましたが、「水俣という現場で身の丈にあった生活のしかたを実践し続ける姿勢こそが、水俣病事件を引き起こした社会のしくみを見直す重要なポイントではないか」と、1977年に『水俣病患者家庭果樹同志会』(現「生産者グループきばる」)を発足、さらに、1990年には『ガイアみなまた』を立ち上げました。娘の鼓子さんは被害者が加害者にならないよう無農薬栽培に挑戦。コープ自然派には「あおさの佃煮」「乾燥あおさ」が供給されています。

「ガイアみなまた」にて。高倉史朗さん(左)、娘の鐘ヶ江鼓子さん(左から二番目)。
あおさの佃煮(調理例)

からたち

 水俣病がきっかけで陸に上がった漁師たちが無農薬の柑橘類を栽培・販売。グループ名「からたち」は柑橘の名前で、接ぎ木の土台に使われている「からたち」のように人や「水俣」がつながり合う場となりたいとの思いで命名されました。現在、生産者15名。2021年から夏場には「水俣」を知らない・興味のない人たちへの入り口として、「SUP」という体験コンテンツを通して多くの命が失われた「水俣の海」を伝えています。コープ自然派品には「マーマレードな甘夏」が供給されています。

「からたち」についてお話を聴いた大澤さんとともに。
マーマレードな甘夏

Vol.474(2022年10月)より
一部修正・加筆

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