「ぽっぽの山食」「ぽっぽのかぼちゃ食パン」「ぽっぽのスコーン」などでおなじみ、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市)の「水俣甘夏スコーン」が好評です。
2022年3月18日(金)、ピースクラブ・大橋茂さんに「水俣甘夏スコーン」誕生秘話を聴きました。

「お話ししたいことはたくさんあります。コロナ禍で中断していましたが、映像を使ったお話会などどこでも駆けつけますよ」とピースクラブ・大橋茂さん。

◆授業で学んだ「水俣」

――「水俣甘夏スコーン」が好評ですね。ところで、大橋さんが「水俣」を知ったのはどんなきっかけですか。

大橋 1973年、高校の授業で「水俣」について学びました。第二次大戦後の高度成長期、全国各地で公害が発生し、熊本県の水俣湾周辺で有機水銀中毒による慢性の神経系疾患が発生しました。しかし、何の対策も講じられなかったので、新潟県でも同様の疾患が発生。1956年にようやく第一の水俣病(熊本県)が公式確認され、10年後の1965年に第二の水俣病(新潟県)が公式確認されました。

―――その後、新潟大学農学部に進学されということですが。

大橋 「水俣」について学び、とても衝撃を受けました。そして、自分も何かしなければと熊本大学農学部と新潟大学農学部のどちらを受験しようか悩みました。名古屋に住んでいたのでどちらも遠かったのですが、新潟の方が運動に関わる人が少ないだろうから、少しは役に立てるのではないかと新潟大学に進学しました。

――新潟ではどのような活動を?

大橋 大学の授業が始まる前から患者さん宅を一軒一軒訪ねる活動に参加しました。水俣市にも行き、反農連(当時)の甘夏畑で1週間働いたこともあります。そのとき、花園大学の学生も参加していましたが、彼は今も水俣で暮らしているということです。

――大学卒業後は大阪で障がい者運動に取り組んでこられましたね。

大橋 障がい者の自立を目ざしてパンやクッキーなどを製造するピースクラブの活動に参加しました。コープ自然派とのお付き合いも始まります。そんなある日、ピースクラブが運営する喫茶店「キジムナー」に新潟水俣病の患者さんと支援者がやってきました。2006年のことでまったく偶然のできごとでした。そこで、いろいろ語り合い、もう一度「水俣」に直接向き合おうと、水俣病関西訴訟の応援に参加するようになりました。

◆「水俣甘夏スコーン」誕生

――「水俣甘夏スコーン」を開発されたのはどのような経緯ですか。

大橋 その3年くらい前、コープ自然派兵庫の組合員さんたちから「食」を通して脱原発を訴えられないかという提案をいただき、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」をもじって「沈黙しない春」というパンをつくりました。

 その後、コープ自然派おおさか・西村専務理事(当時はコープ自然派兵庫)とたまたま会い、水俣の甘夏を使ったスコーンがひらめきました。そう、突然、ひらめいたのです。以前、西村専務理事から「水俣」への熱い思いを聴かせてもらっていたからだと思います。そこで、西村専務理事に「エコネットみなまた」を紹介していただきました。「エコネットみなまた」は水俣で栽培された無農薬・減農薬の野菜や果物、廃油を利用した石けんなどを販売しています。

――ピースクラブでは国産小麦を使ったさまざまなスコーンが製造されていますね。

大橋 「ぽっぽのスコーン」のほか、「ぽっぽのココアスコーン」「ぽっぽのレーズンスコーン」があります。「水俣甘夏スコーン」は「エコネットみなまた」が新たにつくった甘夏ピールを使っています。試作を重ねて最高においしいスコーンが完成、甘夏の果汁がしっとり感を出しています。おかげさまで初回からたくさん注文をいただきました。

――「水俣甘夏スコーン」はコープ自然派ならではの商品と言えますね。

大橋 コープ自然派のみなさんのご協力で誕生し、コープ自然派組合員さんだけに食べていただいている商品です。

「水俣甘夏スコーン」は月に1回ポスティで掲載されています。

◆次世代につなぐ「水俣」

――今、全国上映されている原一夫監督の映画「水俣曼荼羅」には大橋さんも少し登場されますね。

大橋 水俣病関西訴訟のシーンですね。15年間も「水俣」を撮り続けられた原監督の映画「水俣曼荼羅」はとても心待ちにしていました。見応えがあり、上映中に何度も涙をぬぐいました。原監督はCP(脳性麻痺)を扱ったドキュメンタリー映画「さよならCP」(1972年公開、疾走プロダクションと青い芝の共同制作)を観た時から注目の監督です。

――少し前にはジョニーデップ主演の映画「MINAMATA」が評判になりましたね。

大橋 実は1973年にこの映画の主人公のユージンスミスとアイリーン・美緒子・スミス夫妻(当時)が新潟に撮影で来られた時にお会いしました。キラキラ輝いていたアイリーン・美緒子・スミスさんの姿が今も目に焼き付いています。若い人たちや「水俣」を知らなかった人たちにこの映画が好評だというのはうれしいですね。

――大橋さんの人生でいろいろなことがドラマのようにつながっていますね。

大橋 新潟水俣病、障がい者運動、水俣病関西訴訟、水俣甘夏スコーン、映画などが深いところでつながっていることを実感しています。そして、このつながりを明確にしてくれたのはコープ自然派の存在だと心から感謝しています。

――今後、どのような活動を目ざしていますか。

大橋 水俣を訪ねて感じるのは、チッソの工場が市の中心に存在し、患者さんたちは隅っこの小さな集落で暮らしています。現在も10件の裁判が進行中で、水俣病だと認定されないまま補償手帳を持つ人は約2万4000人、認定申請している人は約3万2000人もおられます。第一の水俣病は現在も毎年1500人から2000人が認定を申請していますが、ここ7年以上、1人も認定されていません。

 一方、相思社、エコネットみなまた、からたち、ガイアみなまたなどでは次世代の方たちが頑張っています。ピースクラブでも「水俣」に関心を持つ若い人たちがいて、コロナ禍でなかなか行けなかったのですが、昨秋、ようやく水俣を訪ねることができました。これからは若い人たち同士がつながり合うことを大いに期待しています。

Table Vol.464(2022年5月)より
一部修正