2021年12月8日(水)、コープ自然派事業連合・商品委員会主催により、アイリーン・美緒子・スミスさんに映画制作の経緯や「水俣」についてお話を聴きました。
第2部は、コープ自然派事業連合商品委員会の正橋委員長(コープ自然派兵庫理事長)の進行でアイリーンさん、大川さん、コープ自然派おおさか・西村専務理事によるパネルディスカッションが行われました。
オンラインでは3回に分けてその模様をお伝えします。今回は3回目です。
私にとっての「水俣」とは
正橋 「水俣」にかかわってこられたみなさんですが、ご自身にとって「水俣」はどんな存在だと言えるでしょうか。
西村 1983年から1984年にかけて1年間水俣で暮らしました。水俣病公式確認から25年ほど経ち、第一次訴訟が終わって10年ほど経った頃です。「水俣」を次世代にどう伝えていくかという問題意識でつくられた「水俣生活学校」に入学しました。学校案内を見たのは学生のときでした。当時、日本経済は絶好調でしたが、先行きに不安を感じ、新たな社会を模索する手がかりになればとの思いで入学。水俣では住居と畑が提供され自分たちで無農薬野菜や米を栽培し、夜は患者さんたちのお話を聴くという暮らしでした。畑を開墾したり、近くの市営住宅で残飯をもらって豚の飼料にしたり、山から木を切ってきて風呂を炊くという経験もしました。
水俣から帰って数年後、水俣せっけん工場(現エコネットみなまた)で働いていた方の縁でよつ葉牛乳関西共同購入会(コープ自然派の前身)の事務局で働くことになり、現在にいたっています。
大川 人のつながりは何にもまして大切ですね。浜元さんと出会ったのは石牟礼道子さんを訪ねたときです。私たちは「水俣」を紙芝居や一人芝居などで伝えていこうといろいろ試み、石牟礼さん作の絵本「みなまた うみのこえ」を紙芝居にしたいと考えました。そこで石牟礼さんを訪ねたとき浜元さんに会い、懸命に「水俣」を語る姿に心を揺さぶられました。
アイリーン 「水俣」は私の人生を良い方向に変えてくれました。「水俣」との出会いのおかげで具体的にものを考えるようになったと思います。それまでは国連とかで働こうかなどと漠然と考えていたのですが、「水俣」との出会いは目標をつくってくれました。「現場」との出会いは人生を変えてくれます。さらに若いときに、一生懸命語り、闘う人たちと出会えたことは貴重な体験です。最近、「私にとっての水俣」がいかに大切かを痛感しています。映画をきっかけに多くの人たちの「私にとっての水俣」が始まることを期待します。
水俣から学んだことは?
正橋 「水俣」から学んだこと、多くの方に伝えたいことはどんなことでしょうか。
西村 「水俣」の歴史はいろんなことに通じています。私自身「水俣」を1つの座標として考えることが習慣になっています。原因企業チッソがあって被害者が発生し、加害企業がどのようにふるまったか、問題が大きくなって国はどう動いたか、マスコミはどう報じたか、当時主流の学会はどうふるまったか、被害者が立ち上がり、応援する人たちがどのように動いたか…。これらの流れは気候変動問題にもつながります。さまざまな企業が新しい技術を開発することで温暖化を解決するなんてあり得ません。企業は利益や売り上げを優先するので、SDGsを実現するうえでも「水俣」は大いに参考になります。
大川 私たちはいろんな運動を行ってきましたが、負け続けています。衆議院選挙も私にとっては残念な結果でした。「負け続けることが大切、負け続けることをやめたら本当に負ける」とは詩人の金時鐘さんの言葉ですが、あきらめず言うべきことは言い、やるべきことはやる、そして、一人でも多くの人に伝えることが大切だと思っています。コミュニティが欠如している今だからこそ生協は貴重なコミュニティです。1人でも多くの組合員さんに伝え、関心をもってもらうことをあきらめないでやっていきましょう。
アイリーン 「水俣」は過去のものではなく、今もやらなければならないことがたくさんあります。2009年7月、「水俣病被害者救済法」(特措法)が施行されて10年以上経ちますが、政府は法律で定めた住民の疫学調査を一度も実施していません。支援者たちが国に要請すると、「調査法について考えている」と言い続けています。当時、幼かった被害者が現在、裁判の原告になっています。子どもの頃の写真を集めて、今もこの子たちは守られていないと突き付けたいです。認定審査委員会は門戸を閉ざしているので、日本中の医者や疫学者たちに「ちゃんと仕事しなさい」と言いたい。また、科学者は現場の声を聴き、社会正義のために働くべきです。
そして、得する人と損する人がない世界にリニューアルしなければならない。今、社会のしくみを決めるのは男性中心ですが、もっとも被害を受ける人たちに焦点を当てて物事を決める仕組みをつくることが大切です。私のこれからの課題は、世代を超えてつながれるよう自分をリニューアルしていくことです。
正橋 4年前に初めて水俣を訪ね、「水俣」について深く知らなかったので大きな衝撃を受けました。患者の坂本しのぶさんに「水俣は終わっておりません」と力強く言われたことが心に残っています。想像力を発揮し、一人ひとりが学び考え行動することでつながり合い、誰もが幸せになるよう社会を変えていきたいと思います。
Table Vol.456(2022年1月)より
一部修正・加筆