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くらしと社会

ミャンマーの民主化と軍事クーデター~ビルマ王国はなぜ国民に銃を向けるのか~

2021年7月9日(金)、コープ自然派兵庫(Iブロック主催)は、坂西卓郎さん(PHD協会事務局長)にミャンマーの軍事クーデター後の状況と抗議行動について聴き、私たちに何ができるか考えました。

※イメージ

軍事クーデター発生

 2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが発生しました。

 坂西さんは1枚の写真を提示します。2016年4月1日、軍事政権から民主政権に移行した日の写真で、町では政権交代をみんなが祝っています。軍事政権下では市民生活が制限され、外国人がミャンマーに行った際には友人の家でさえ宿泊できない状況でした。4月1日、坂西さんは初めて友人の家に妻子とともにホームステイさせてもらい、翌日、みんなで田植えしました。それからわずか5年足らずでクーデターが起き、とりわけミャンマーに深い思いを持つ坂西さんは悲しみとともに強い憤りを感じています。

 坂西さんが所属しているPHD協会は1981年設立、1991年からアジアの村の研修生を招いて保健衛生や有機農業の研修を行っています。坂西さんは日本在住のミャンマー・カレン民族の2人を紹介、2人にクーデターについて聴きました。「軍事クーデターは私利私欲。国軍のトップが65歳で定年を迎えます。定年になるとこれまでの犯罪を追及されたり、海外から経済制裁を受けることを恐れてやったのではないか」「クーデターをほとんどの人は予測していなかった。コロナ禍でワクチン接種を始めていましたが、すべてストップした」と2人は話します。

2月1日までの経緯

 ミャンマーは7地方域と7州に分かれ、中央部の7地方域にビルマ人が多く住み、少数民族は辺境地域の7州に住んでいます。135の民族がいてビルマ人が約7割、カレン民族は人口の8%程度。言語は108通りあり、民族的な文化が豊かですが、民族間の対立もあります。ビルマ人以外は就職も難しく、国はビルマ人を中心に動いています。

 ビルマ人を中心とする中央政府と辺境地域の少数民族の戦いであるミャンマー(ビルマ)内戦は1948年から現在に至るまで継続し、世界で最も長い内戦の1つと言われています。そのなかで人権侵害が横行し、「ポーター狩り」は軍が住民を実戦部隊の荷物運びとして強制的に連行することです。老齢で体の不自由な人を除いて男女全員連行され、拒否した村人がその場で殺されたり、村全体が焼かれたケースも。賃金はなく弾薬や食料を運び、地雷原を歩かされることもあります。

 国軍は70年間、同じ国民であるカレン民族の人たちに銃を向け続けました。ビルマ人には銃を向けていなかったのですが、今回のクーデター後は銃を向けています。

 1962年にも軍事クーデター発生。1988年に民主化運動が起きましたが、武力鎮圧されました。2007年のサフラン革命(僧侶や市民による抗議行動)は日本人カメラマンが亡くなったこともあって日本でも大きく報道されましたが、軍事政権によって鎮圧されました。2017年8月30日には国軍はロヒンギャ民族数百人を殺害、性的虐待を行いました。これは隣国バングラデシュに65万5000人以上のロヒンギャ民族が逃れる原因となりました。

軍事クーデター後の状況

 アウンサンスーチーさんを党首とする国民民主連盟(NLD)は2015年の選挙で圧勝、2020年の選挙でも再び圧勝しましたが、選挙結果を反古にしてクーデターが起きました。そこで、市民たちは非暴力不服従で闘っています。国軍は市民の平和的なデモに対して治安が乱れているから仕方なく武力を使っていると言っていますが、実際は水平射撃も行う虐殺です。これまでに900人以上が死亡し、50000人以上が拘束されています。子どもたちも殺され、最初に亡くなった7歳の子は家の中で遊んでいて撃たれました。100人以上の医療従事者が殺害され、著名人も扇動罪などで120人以上が指名手配されています。

市民による抗議行動

 市民による抗議行動が行われています。抗議デモは非暴力ですが、発砲されるので命がけで、無人デモや2,3分で解散するデモしかできなくなっています。そんな中でZ世代(1990年代後半から2000年代前半に生まれた世代)はユニークな表現を使ったデモを開催し、SNSを駆使しています。また、連邦議会代表委員会(CRPH)は国会を運営していこうと闘っています。 そして、民主派勢力で新しい国家統一政府(NUG)がつくられました。各地域に設立された人民防衛隊(PDF)同士が連携して連合軍を組む動きが加速し、多くの若者たちが参加しています。日本を含めて国際社会はあまり助けてくれず、PDFに参加する人が増えています。坂西さんたちの友人には銃を持つしかないという人も増え、内戦は激化しているようです。つい最近もマンダレー近くで41人が死亡しました(市民側26人、国軍側15人)。ミャンマーの貧困率は15年前は48%でしたが、民主主義政権で経済成長して24%まで減少。しかし、クーデターにより貧困率は元に戻るのではないかと言われています。

 一方、クーデターによって民族間の関係性が変化しています。民族間の対話がすすみ、ビルマ人たちは自分たちが銃を向けられるようになって少数民族が迫害されていたことを理解したようです。宗教間の対立も緩和されつつあります。ロヒンギャ民族に対してもビルマ人は差別意識が強かったのですが、対話が始まっています。

私たちにできること

 私たちにできることとして、坂西さんはまず知ること、興味関心を失わないことを挙げます。そして、行動に参加すること、神戸でもデモが開催されています。「PHD協会ではラジオや集会で厳しい状況を伝えています。また、政府に要望書を提出しました。みなさんもぜひ状況を広く伝えてほしい。そして、市民生活が困窮して食べものを入手できない状況なので寄付をお願いしたい」と坂西さんは呼びかけました。

ミャンマー在住者からのアピール

 クーデター後、すぐに国中のインターネット通信が切断された。最初はわけがわからず、昼くらいにクーデターが起きたとわかった。2020年11月の選挙結果に軍が納得しなかったことがクーデター発生の理由です。

 夜11時、近所の村人が3人、デモでリーダーを務めたという理由で連れて行かれた。私もデモに参加したので家にはたまにしか帰れず、デモに参加した人はみんなそうしている。マンダレーに住む友人は不審物を爆弾と知らずに触って爆発させて片足を失った。彼女は病院で治療中に国軍に連れ去られ、10日後に死亡通知だけが来て遺体は返してくれない。母を失った幼い子どもが残された。私にもできることがあったのではと考えるととても悔しくて…。

 今回のクーデターに私たちは納得していない。私たちは人権と安全を完全に失った。私たちの未来は風に揺られる木の葉のように心もとないものになった。自分がいつ拘束されるか、命を落とすか、ずっと不安です。時々、家に帰って母に会うと母はとても心細いと言います。それを聞くと悲しくなります。私のせいで親にも苦労をかけています。でも殺された人たちや刑務所にいる人たちと比べれば何ということはありません。私たちはこのクーデターに抗議をし続けなければなりません。必ず勝つと信じています。勝つまでこの革命を闘います。できることから、あらゆる手段で抗議します。日本の若い人たちにお願いします。できる限りの範囲でいいですから、私たちを助けてください。SNSで拡散し、世界中の人に知らせてください。今、私たちの国に安全な場所はありません。夜もよく眠れません。内戦エリアはさらに悲惨で、雨季の今は屋根もない中で過ごしています。できる範囲でかまいません、私たちを助けてください。世界中に私たちの惨状を知らせてください。どうか、よろしくお願いします。(※当日、坂西さんにより紹介されたアピールです)

ミャンマーの現状について話し、支援を呼びかけるPHD協会事務局長・坂西さん。

Table Vol.447(2021年9月)より
一部修正・加筆

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