2020年12月15日(火)、コープ自然派事業連合・脱原発ネットワークは学習会「どうなっている?核のゴミ最終処分~北海道・岐阜の深地層研究所をめぐる市民の活動から学ぶ」(オンライン)を開催。深地層研究所とは放射性廃棄物の地層処分に関する研究を行う施設で、北海道天塩郡幌延町と岐阜県瑞浪市、茨城県東海村に建設されました。

(左)共同購入運動の先駆的存在でもあった久世薫嗣さん。北海道に移住して翌年から核のゴミ処分をめぐる活動に参加、各地での講演活動も行っています。(右)「種苗法」にも熱心に取り組む兼松秀代さん。複数の関電原発原告でもあります。「脱原発ネットワーク」は2020年1月に瑞浪市の深地層研究所見学ツアーを計画していましたが、コロナ感染拡大で断念、この度のオンライン学習会が企画されました。

幌延町を囲む力強い闘い

 まず、「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」・久世薫嗣さんのお話。久世さんは幌延町に隣接する豊富町に住んでいます。久世さんはよつ葉牛乳の共同購入活動をきっかけに食や農業への関心を深め、当時、幼稚園児・小学生の子どもたちとともに兵庫県の山奥で自給自足の暮らしを6年間続けました。その後、子どもたちと話し合って自然豊かな地で酪農をしようと北海道の北端・稚内市から南へ50㎞の豊富町に移住してしました。

 「幌延町の問題は町長が金になるものはないかと考えたところから始まった」と久世さん。最初は原発誘致の話が持ち込まれましたが、地質があまりにも軟弱で北海道電力は断念、そして、1984年に高レベル廃棄物の貯蔵と処分研究をセットにした「貯蔵工学センター」誘致が進められました。これに対して住民側は監視活動と反対運動を展開。1985年、動力炉・核燃料開発事業団が強制立ち入り調査を行い、翌年、機動隊を導入してボーリング調査を強行したため熾烈な闘いとなりました。その後、横路知事が当選して反対を表明。1985年のボーリング調査は知事の反対表明を無視して強行したため北海道全域に火をつけることになりました。周辺の各市町村は反対決議し、その過程で豊富町は反対派議員が昼食をとっている間に推進決議をしたため、この問題の特別委員会委員長と議長の2名のリコール運動が行われました。そして、約70%の人たちがリコールに賛成。久世さんが豊富町に移住した翌年の1990年のことです。周辺市町村も北海道知事も北海道議会も反対ということで、国はこれ以上進められないと膠着状態になりました。

 1998年2月、科学技術庁(現文部科学省)は「貯蔵工学センター」計画をいったん白紙にして放射性物質を持ち込まない深地層研究所を推進したいと北海道に申し入れ。横路知事の後の堀知事は研究所を認めるような方針を出して当選していたため反対運動の流れが変わりました。1999年、北海道庁に検討委員会が発足、約1年間検討し、核のゴミは持ち込まないことを前提とした研究所の受け入れが可決されました。その後、堀知事も受け入れを表明、道議会も受け入れを決議し、高レベル放射性廃棄物の持ち込みは「受け入れ難いことを宣言する」という曖昧な条令が可決されました。住民団体や農家の人たちは道議会が行われているときには1週間座り込みをするなど反対運動を展開。そして、道北の住民1000人を対象にアンケート調査を実施し、研究所だけでもだめだという意見が76%に達しました。その結果をもって農協青年部は稚内から札幌まで500㎞を3日間かけてトラクターリレーを行いました。しかし、2000年11月、核燃料サイクル開発機構と北海道、幌延町の三者協定が結ばれ、全体の計画を20年間程度とすること、核は持ち込まないこと、研究終了後は地下施設を埋め戻すことを約束して深地層研究所を受け入れました。

 久世さんたちは予定の20年間をどのように闘うかを議論し、次世代も闘えるよう5軒の農家で加工販売の店を開店。「昨年8月、日本原子力研究開発機構は研究期間を引き延ばす動きをしています。核のゴミは必ず過疎にもってくる。それに対抗するには、子どもたちが都会に出なくてもいいように仕事をつくることが勝負だと思っています」と久世さんは話します。

住民の力で埋め戻しへ

 続いて「放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜」兼松秀代さんのお話。1962年、岐阜県瑞浪市に隣接する土岐市でウラン鉱床が発見されました。しかし、含有量は低く原発の原料にならないため、1986年4月からウラン鉱山で放射性廃棄物処分の研究および周辺30㎞圏を対象とした地質や地下水の調査が始まりました。さらに、立杭の掘り方の調査や人工バリア材劣化試験などの事前調査が着々と進められました。そして、1995年、瑞浪市明世町月吉区の核燃料サイクル開発機構所有地での超深地層研究所の建設計画を発表、当時の岐阜県知事と瑞浪市長は了承しましたが、月吉区は中学生以上の住民98%が反対署名、瑞浪市の約半数が協定締結の中止を求める署名を瑞浪市議会に提出。瑞浪市議会は処分場は受け入れないが、研究所は受け入れると決議し、12月28日、瑞浪市、土岐市、岐阜県は核燃料サイクル開発機構との四者協定を締結しました。

 小さなトンネルの奥に研究所が建設される予定でしたが、入口は住民が使用する道路でもあり、トンネルの拡幅を拒否するなど住民の強固な反対で研究所建設ができない状況が続きました。瑞浪市長は根負けして2001年に約1.3㎞離れた瑞浪市有地への移転を提案、瑞浪市議会も受け入れ、2002年1月に瑞浪市と核燃料サイクル開発機構は20年間の賃貸借を結びました。

 2005年に就任した古田知事は20年間という約束を守らせるために国への予算要求、職員は事業の進捗に厳しいチェックを続けました。2015年の研究所の跡利用研究会では交代した瑞浪市長が契約期限までに埋め戻して返還するよう要求し、2017年には瑞浪市議会も契約期限までに埋め戻して返還することを全会一致で可決、2020年2月に、研究所の埋め戻しが始まりました。

 岐阜県で暮らす兼松さんは過去の経緯を知るため、自治体や国の情報公開で経緯を調査。核燃料サイクル開発機構が1980年代に全国的に行った処分候補地調査について、地域および地名の開示訴訟では2004年12月に勝訴、翌年2月に開示させました。また、どのようにボーリング調査されたのか、調査の場所と名前を丸で囲むよう要求。「原子力を止める力があるのは首相、規制委員会、都道府県知事、市町村長、裁判所、そして、住民の力です」と兼松さんは話します。

食の問題や選挙にも言及

 質疑応答では、高レベル放射性廃棄物最終処分場の受け入れを表明した北海道の寿都(すっつ)市と神恵内(かもえない)村の現状についての質問が出され、久世さんが説明。高レベル放射性廃棄物最終処分場の応募に寿都町が手を挙げた1ヵ月後に神恵内村に国が申し入れて2つの動きが連動しています。寿都町では賛否を問う住民投票の是非が町議会で採決され、4対4で議長採決により住民投票は実施できない結果になりました。住民団体は次の段階を検討していますが、その間に寿都町と神恵内村の周辺市町村が核を持ち込まないという条例制定を各議会で審議しているということです。

 また、食の問題については、「国内自給はもちろん、地域のものを食べることが原点」と久世さん。「有機の野菜もお米もとてもおいしく、子どもたちが安全なものを食べられるよう応援したい」と兼松さん。最後に久世さんは、「豊かで便利な生活は何かを犠牲にして成り立っていることを認識することが大切。コロナ禍によりさまざまな教訓を与えられた」。また、兼松さんは「私たちは何を食べるか、何を着るか、何を見るかを選ばなければならない。その1つとして選挙ではどういう人なのか、今まで何をしてきたのかなどをできる限り調べて投票してほしい。政治に関心を持てるきっかけになります」と話しました。

Table Vol.433(2021年2月)より
一部修正・加筆