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連載

子育てのまわりで~目に見えないものに~

 山に登ると圧倒的な自然を前にただ歩く。今回は再び屋久島へ。九州で一番高いと言われている山らしいが観光ルートとは違った趣で、頂上にたどり着いたうれしさはもちろんだが、崖を登り谷を下り湿地帯を歩き水の流れる沢を進み、ロープにつかまってよじ登り…5時間半、全身汗ぐっしょりになりつつ森の奥深く分け入る道程に、より深く感じ入った。

 みずみずしい高山植物に囲まれて比較的余裕で歩める森林道は、子育ての安穏とした日々に似ているような。緑や黒の動物のフンから食性を想像し、高山特有の葉っぱの形状や根っこのはびこる造形には心を奪われる連続。「お母さん、なんか息苦しい!」見ると小さな靴を左右反対に履いていた息子が、今私の1.5倍の歩幅で前を行く。

 天候の急変に不安になり、ひと筋縄ではいかない山肌に立ち止まった時は、あの時も乗り越えられないものは現れない、と自分に言い聞かせつつ祈るしかなかったナァとまたまたタイムスリップ。険しい登りで息が切れてまだかいな?と弱気になったり、滑って転びかけたわが姿を笑い飛ばしたり…。そうだやっぱり前に向かって進もう。あの時は寄り添ってた時期だったナァ、アアあの時期は正面から向き合ってぶつかりながら話したナァ、そんな子育ての記憶を辿る道筋を重ね合わせるうちに、ふと気がつくとただ無心に歩いている。

 足元の根っこや迫りくる草木を避けつつ、顔を上げると遠く連なる深い森と巨石が点在している壮大さに畏怖の念を覚え、何も言葉が出ない。日常では言葉に元気づけられたり、傷ついて考え込んだりの「言葉在りき」が、消え去り超えてゆく。

 山登りも子育ても、立ち止まった時にほしいのは少しの休息と共に呼吸できる人、そして俯瞰できる「間」が大事だと。気配を感じて傍らをのぞくと、繁みでシカやサルがシャラシャラと草を食べている。彼らのテリトリーに侵入して申し訳なかった、と神妙な気持ちで静かに進む。そう、生あるものはそれぞれの場でそれぞれの時を積み重ねている。「神々の(あるいは妖怪も?)棲む森」で、静かに圧倒された。

 小さな子どもたちへの配慮は、目立たないものやわずかなものを生かすことへ、目に見えないものを大切にすることへと繋がる。そして必要なものってそんなに多くなかったんだという気づきにもなる。より良い教育環境や生活環境が整えられるに越したことはないし、より良い食事やおもちゃが用意できるに越したことはない。けれども物質的な豊かさから、ともすれば品質の良し悪しやこだわりを持つことを評価するように、大人は見える世界だけで識別しがちになってしまう。豊かさを享受している自覚や、どこかに痛みを持った子どもたちがいることを想像できなければ、偏ってしまう気がする。選りすぐりの食べ物だけで、人は健全に育つわけではないから。

 「ののはなのおうち」は、森や神社・お寺に囲まれている。その場に足を踏み入れた時に感じる静寂さや包みこまれるような温かさは、単に自然素材に囲まれているだけでは生み出されない。それは迎え入れる側の根底にある精神性なのだと改めて思う。多くの自然や人との交わりの中で、畏敬の念を持てる関係性が生まれるのは何よりもたいせつな財産なんだと。私たち現代人に必要なのは、佇む時間、沈黙する時間、非日常である見えない世界に感謝を捧げる時間なのかもしれない。(ohisama)

ohisama プロフィール
「NPO法人みのおシュタイナーこども園友愛会」が今年5月より「NPO法人ののはなのおうち」と改め、代表理事を務める。コープ自然派おおさか組合員。

Table Vol.401(2019年10月)

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