Table(タブル)はコープ自然派の情報メディアです。

連載

おわりはじまり「遠くの娘より近くの他人のありがたさ」玄番真紀子

 デイサービス利用者のほとんどが1人暮らしか老夫婦だけの世帯。「若いもんには世話をかけられん」と自立した生活をしながらも、時折帰ってくる息子や娘たちが「風呂で背中を流してくれた」「旅行に連れて行ってもらった」と嬉しそうに話してくれる。そして、私に「里のおかあさんに孝行しているか」と聞いてくるので、そう言えば母の背中を流したことがないことに気付き、「いえ、それが…」と白状する親不孝な私である。

 1人暮らしをしている実家の母もデイサービスでお世話になっている。そこでおしゃべりすることが元気の源になっているようで、離れて暮らしている娘としてはデイサービスの存在が本当にありがたい。ただ煩雑なことをこなすのが難しくなってきた母に「(1人で暮らしていて)家でなにか困ってることない?」と聞くのだが、意外と「別に~」と答える。

 この夏は少し長めに帰省した。母は少し耳が遠いので人との応対に少し苦手意識を持っているが、それでも人と関わる最低限のやりとりはなんとか自分でこなしている。聞こえないだけに時々とんちんかんなことを口走っていたりもしている母が、いったいどんなふうに会話しているのだろう。また母が高齢者だからと商売でうまくだまされていないかと、訪問してくる人が来るたび奥の部屋でそのやりとりを静かに観察。そして、なぜ母が1人で不便を感じていないのか腑に落ちた。

 その日は朝から移動販売のお兄さん、お弁当の集金のおばさん、薬屋のおじさん、隣のおばあちゃんと、とにかく頻繁に人が来る。その応対を見ていると、相手はとにかく焦らずに「待ってくれている」のだ。母が請求書を探し、さらに財布を探すのにかなり時間がかかっていても集金のおばさんは玄関先でにこにこ待ってくれている。20分ほどかかってようやくわずかな額の支払いが終わり、嫌な顔ひとつ見せず笑顔で帰っていくおばさん。そんなふうに、みなさん仕事とはいえ高齢者に合わせたスピードを心得ていて、ちぐはぐな会話も母のプライドを傷つけることなくじっと聞いてくださっている。

 年を重ねると、感情は鈍くなるのではなく思春期のように敏感になって不安も大きくなるのだという。ふとした相手の表情や言葉の端々に深く心を傷つけられることも多い。母をとりまく人たちが穏やかなやりとりのなかで欠けたところをうまく補いながら、母の暮らしを成り立たせて自信を持たせてくれている。心からありがたいと思い、また1人で暮らしを維持している母に心から尊敬の念。

 これから高齢世帯が増えていく。可能な限り自宅で生活を送るためにデイサービスはとてもよい仕組みだと思う。でも貢献できるのは福祉分野の仕事に限らず、高齢者が自信を失わずに暮らし自立をささえる周囲のちょっとした心遣いと、ゆったりとした心の構え方かもしれない。母をとりまく周りの人たちに心から感謝し、その気持ちをいま私の周りのじいちゃんばあちゃんたちに向けていこうと強く思いながらあとにした故郷。ああ、また親孝行はできなかったなあ。

玄番真紀子
1998年、家族とともに大阪から徳島県関那賀町木頭に移り住む。国のダム建設計画に対して敢然と立ち向かった女性たちについて書いた「山守りのババたち~脱ダム村の贈り物」、木頭地区に伝わる生活習慣や風習をまとめた「じいとばあから学ぶこと」が出版されている。
Table Vol.401(2019年10月)

アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

アーカイブ

関連記事

PAGE TOP