新緑がまぶしく深呼吸が心地よい季節。寒い大地の中で蓄えられた力が、ありとあらゆる植物の生命力となり湧き上がる。同時にあまり嬉しくないゴキブリやムカデ、ナメクジ、ユスリカ…もある日突然現れる。
冬にため込んだものを解毒してくれる春の野菜はアクが強い。食卓に上がるまでの手間はかつて親任せだった。タケノコ、フキ、フキの葉、ワラビ、山椒の実…アクを抜いたりひと晩置いたりと手間がかかるし面倒臭いわりに、小さな子どもに人気のない地味な一品も多い。面倒臭い=無駄な時間となりがちで、時短とは対極にある。けれどもアクの強さの意味や手間のかかる料理の味わい深い価値がわかり、ひと手間の時間を作り出すよろこびを味わっている。もちろん子育てにはいろんな時期があって、特に幼い子を持つ核家族だとスローライフにはほど遠かったりする
ただ、やけに最近推奨される時短感覚に慣れてしまうと、すべてコスパでの行動に走りがちになる。日替わりメニューやア・ラ・カルトに慣れ親しんだ大人は、ついハレの思い出作りや目新しいものをめざしてしまう。けれども子どもの心と身体は、自分を取り巻く大人の姿を通して、また繰り返される日常生活のリズムの中で培われ、やがて生きる力に繋がっていく。
生物学者・福岡伸一さんが提示する「動的平衡」の中に、「コンピューターやスマホの文字や画像は止まっているようで、実はピクセルを高速で明滅させているから絶えず細かく震えている。生物の視覚は動くものに敏感で、反射的にすぐ行動する必要があるため、身体は緊張態勢に入る。一方じっくり観察し分析し思索を深めるためには、対象物が止まっている必要がある…」。とある。
家にいても旅に出てもスマホ検索は便利だ。カーナビも初めての場所を案内してくれる。情報を求める欲望と提供されるツールが無限に膨らみ続ける社会の中で、溢れる情報を聞き流さなければ神経がすり減ってしまうようなリアルタイムなニュースもある。大人は無意識に選別しているが、この世界を全身で受け止めている子どもは、あらゆる画面に吸い込まれるように見入ってクギづけとなり、身体は硬直してしまっている。大人はそれを集中していてお利口さん、と解釈している場合すらある。
暮らしの中で心地よく呼吸する時間を持ち、心地よく呼吸できる道具を使うことは、子どもはもちろん私たち大人にも内面の充足感や安心感をもたらしてくれる。多くの情報とめまぐるしい生活の中で、内面の静けさを感じるのは難しい。大人が揺らがない軸を持つために、そして子どもの中心感覚を育てるためにも、指先だけではなく両手を使ったり身体全体の力を出し切る感覚の体験が何より大事だ。意欲を持って生まれ出てきた心と意志をどう繋げていくか、その環境を作っていけるような「ののはなのおうち」でありたいと思う。(ohisama)
「NPO法人みのおシュタイナーこども園友愛会」が今年5月より「NPO法人ののはなのおうち」と改め、代表理事を務める。コープ自然派おおさか組合員。
Table Vol.392(2019年5月)