「僕、これ読んで震えたんです。施設で亡くなったNさんとか認知症で施設に入ったMさんとかがこんな暮らしをしてきて、こんなふうに思ったり考えたりしてきたんやなあって」。デイサービスの仕事の昼休み、若い介護士さんの純粋な言葉にはっとした。
2年前、「北川小学校誌」として写真を交えた文集をつくった。地元の創立136年になる北川小学校の休校のタイミングで、かつて学校に通ったじいちゃんばあちゃんたちの子どものころの思い出をまとめたもので、デイサービスの本棚にも置かせてもらっている。
当時原稿を集めるにあたって、「文章を書くのは生まれて初めてじゃけんど」と裏紙に書いて持ってきてくださる方、話を聞きに来てくれとおっしゃる方など思いのほか反応があった。なるべくたくさんの人たちの言葉を残したい一心で、介護施設にまで押しかけて聞き書きに行くと、思い出話は尽きることなく帰る時間になっても何度も引き止められたものだった。
「教室で火鉢に入れる炭もないけん、高学年のシ(人)が山行って炭窯で焼かしてもろたのう」 「山作(焼畑)の採り入れの時は学校どころじゃなかったけん勉強もまともにはでけざったのう」 聞き書きでは、「もう忘れてしもたわ」と笑いながらも懐かしそうに次々と出てくる子どもの頃のエピソード。それらをなるべく話し言葉のままに掲載した。
また、入所している介護施設の一室で、思いを込めて自筆で書いてくれたおばあちゃんもいる。
「私は一年休んで、一級下の六年生で勉強しましたが、テストで合格して二学期からは中学校へ行けるようになりました。また同級生として一緒に勉強することになってうれしかったです。みんな一緒に喜んで迎えてくれまして、本当によかった。本当にうれしくて忘れることはできませんでした」
すてきな文章を残してそのおばあちゃんは文集ができて半年後に亡くなった。
小学校誌の編集は、山の小さな学校という視点から立体的に集落や暮らしの歴史も見えてきたらいいなという思いもあった。でも取材を始めると、じいちゃんばあちゃんたちが人生の終盤に差しかかり、次の世代に何かを伝えたいというささやかな思いもしみじみと感じるようになった。出来上がった文集のページを開いて、いつもは寡黙なおばあちゃんが子どもの頃の話を幸せそうに聞かせてくれる。そして、じいちゃんばあちゃんたちの文章を読む子、孫の世代が、身近な人たちの思いや暮らしぶりを改めて知る。介護の現場でもまた、人それぞれのライフヒストリーを知ることでひとりの利用者としてだけでなく、歴史を刻んできた先人のひとりとして尊厳を持って接することができる。介護する側とされる側、両者にとって人間的で対等なあたたかい関係をつくり上げることができるのではないかと、この若い介護士さんの言葉で思ったのだ。編集に携わってよかったなと心から思えた瞬間だった。
人は人としての尊厳をもって死ぬまで生きる、人類としての最大のテーマなのではないだろうか。
こうして幸せな老後を過ごすじいちゃんばあちゃんたちの姿を見ることで、ここで育つ子どもたちは安心感と優しさを心に刻み、希望を持って生きていくことができるんじゃないかな。子どもたちのためにも、じいちゃんばあちゃんに幸せに生きてもらいたい、今いちばん思うことだ。
1998年、家族とともに大阪から徳島県関那賀町木頭に移り住む。国のダム建設計画に対して敢然と立ち向かった女性たちについて書いた「山守りのババたち~脱ダム村の贈り物」、木頭地区に伝わる生活習慣や風習をまとめた「じいとばあから学ぶこと」が出版されている。