2018年11月9日(金)、神戸賀川記念館で新任理事研修会を開催(コープ自然派事業連合主催)。午前は「生活協同組合の誕生と現代における役割」、午後は「コープ自然派の歴史と組合員の活動」をテーマに講演が行われました。
賀川豊彦について学ぶ
神戸賀川記念館は社会運動家・賀川豊彦の活動を紹介するミュージアム。「生活協同組合の父」とも称される賀川豊彦について、語り部2期生の志方京三さんが講演しました。賀川豊彦は1888年、神戸市兵庫区に生まれ、幼少期に両親と死別して姉とともに徳島の本家に引き取られます。しかし、15歳の時に賀川家は破産し叔父の家へ。旧制徳島中学に通っていたとき洗礼を受け、明治学院高等部神学予科を経て新設の神戸神学校で学びます。1909年21歳の時、神戸市のスラム街で教育、医療、授産、職業紹介、給食、宿泊などの救貧事業に取り組み、これらの活動は社会福祉や社会保障の開拓的役割を果たしました。1918年、労働者の権利を守るために工場管理、団体交渉権、団結権などの要求を掲げて闘い、1921年の川崎・三菱造船所の大争議では先頭に立って闘いました。一方、農民に対しても小作料の適正化、小作契約の正常化を謳って農民を組織化、1922年に日本農民組合を結成しました。
1920年、最初の消費組合として共益社を設立、翌年、神戸および灘購買組合を設立、その後、学生生協、医療生協、共済生協、労働金庫などが全国に広がりました。1951年には日本生活協同組合連合会を組織し会長に就任、「一人は万人のために、万人は一人のために」の精神こそ平和への近道だと確信し、協同組合の発展に尽くしました。
よつ葉牛乳共同購入から
午後は、コープ自然派事業連合元理事長、現在はNPO自然派食育・きちんときほん理事長として活動している大川智恵子さんのお話。高度成長期(1956年〜1972年)、全国でさまざまな公害が発生しました。1956年に熊本で水俣病、その前年には森永ヒ素粉ミルク中毒事件、さらに1968年には国内最大級の食品公害とも言われたカネミ油症事件、その他、富山のイタイイタイ病や四日市ぜんそくなどが次々発生します。このような状況下、安全な食品を求める運動が全国的にわき起こり、日本有機農業研究会や兵庫有機農業研究会などが発足しました。
その頃、北海道の牛乳を本州へ出荷したい生産者と、安全な牛乳を求める都市生活者が出会い、1976年にコープ自然派の前身であるよつ葉牛乳関西共同購入会や徳島暮らしを良くする会が発足。よつ葉牛乳は全国にまたたくまに広がり、「ほんもの」の酪農(農業)、「ほんもの」の牛乳(食べもの)の情報を得て消費者が自ら行動を起こすという動きがつくられました。1976年には「LL牛乳」(140℃以上の超高温殺菌牛乳)に対して、関西と徳島の小さな共同購入会が一緒に反対運動を起こし、やがて全国ネットへと広がりました。
1990年代になり、主婦主体の会や個人商店的な組織運営では、共同購入システムの煩雑さや後発の同業他社の追い上げなど、徐々に時代のニーズに対応できなくなっていきます。そして、四国は「ふれあいコープ暮らしをよくする会」「コープ四国共同事業センター」、関西は「たがやす会・(株)生活ネット」などを経て、四国・関西で合併し、2002年、「コープ自然派事業連合」が誕生しました。
食べものから社会変革へ
共同購入会時代から継承されたのは安全な食べものを通して、社会の問題を考えるという姿勢。水俣病は患者たちが声を上げたことで支援の輪が広がり、無農薬の甘夏などを産直することで支援、反原発運動の始まりは能登・西海漁協の鮮魚の産直が始まりでした。1986年のチェルノブイリ原発事故後は幌延核処理施設計画や六ヶ所核燃サイクル基地、伊方原発出力調整実験などへの反対行動にも取り組みました。そして、これらの反原発運動は福島第一原発事故後、いち早く食品の放射能測定を開始し、組合員に公表する活動につながっています。
共同購入活動で培われたこととしては、生産者と消費者の顔の見える関係や都市での人と人のつながり。それは今も商品開発や生産者との関係にも引き継がれています。また、食べものの安全性は農業問題であり国の農政に切り込むこと、社会の仕組みを変えることにつながります。現在、コープ自然派は、事業・組合員活動において、国産派宣言、生物多様性、有機農業推進、循環型社会実現など日本の農業や環境を守る活動などに取り組んでいます。大川さんは「コープ自然派の役割は食べものの安全を通じた世直し運動です」と結びました。
Table Vol.383(2019年1月)