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連載

おわりはじまり「介護の現場からその①」玄番真紀子

 大阪から徳島の山奥の村に越してきて20年。生後3ヵ月で連れてきた次女はもうすぐ20歳の誕生日を迎える。あっという間の月日ではあったけれど、ここに暮らすじいちゃんばあちゃんたちのおかげで私たち家族は充実した濃厚な日々を送らせていただいた。畑のこと、山のこと、自らつくる衣・食・住のこと、人と協働する暮らし方、すべてが目から鱗。学校や町での生活で知った知識はあまり役に立たないことばかりで、戦争も体験し自然に即して生きてきた世代は知恵と工夫と生きとし生けるものへの愛情に溢れていた。

 そんなじいちゃんばあちゃんたちも20年の年を重ね、何人かは亡くなってしまった。80歳を超えても畑を耕し、山でカヤを刈って束にしておりてくる、まさに「生涯現役」を体現してくれていたばあちゃんたちも、離れて暮らす子、孫の希望で施設に入る人が増えた。気づくと我が家の周りは空き家ばかり、保存食のつくり方を教えてくれる人もかつての自給的な暮らしを語ってくれる人もめっきり少なくなってしまったのだ。高齢化社会ではあるけれど、身近に高齢者がいない社会なのである。

 こんな日がくることは本当はわかっていたはずなのに、ぽかんと心に穴があいたような寂しさ。私のここでの暮らしはそのほとんどがじいちゃんばあちゃんたちとの関わり合いであり、世界観を変えるほどの学びの数々だったと改めて思う。せめて今生きている人たちに少しでも恩返しがしたい、もっともっと話を聞いておきたい。そんな気持ちから、私は足繁く懐かしい人たちに会いに介護施設に通い始めた。

 施設に入ったじいちゃんばあちゃんたちは、畑もできずにすっかり足腰は弱ってしまったものの、話も記憶力もしっかりされていて、「前も話したと思うんじゃけんど」「ああ、そうだったっけ」と私の方が忘れていることが多いほど。聞きそびれていたこと、また新しく知ること、なにより大好きな人たちにまた会えること、すべてわくわくすることばかり。「また来てよ」と戸口で笑顔で見送る姿が頭から離れず、面会の回数は多くなりすっかり施設の職員さんとも仲良くなった。

 残された時間はあまりなく、少しでもいっしょにいる時間を増やせたら、そんな思いで折角ならと施設で働くことにしたのが今年のはじめ。「ド素人ですが精一杯がんばります!」とはじめた介護職員、これが何十年ぶりの勤め仕事を再開した理由である。まだまだテキパキ仕事をこなせず、怒られることも多々。でも人生の大先輩たちから学ぶこと、命について考える瞬間は、なにものにも代えがたい価値がある。

 誰しも願う、「ああ、いい人生だったな」と思える人生の終焉。まだまだ先のことだと思っても、心の片隅に少しだけそんなスペースの準備をしておくだけで、日々の暮らしがもっともっと豊かに彩られていくのだと確信する日々。介護の現場から、じいちゃんばあちゃんたちからいただく数々の無形の宝物を少しでもシェアできれば幸いです。これから少しばかりお付き合いくださいませ。

玄番真紀子
1998年、家族とともに大阪から徳島県関那賀町木頭に移り住む。国のダム建設計画に対して敢然と立ち向かった女性たちについて書いた「山守りのババたち~脱ダム村の贈り物」、木頭地区に伝わる生活習慣や風習をまとめた「じいとばあから学ぶこと」が出版されている。

Table Vol.372(2018年8月)

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