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くらしと社会

社会は変えられる!泉房穂元明石市長に聞く社会の変え方

2024年1月21日、コープ自然派しこくは泉房穂さん講演会を開催(共催:松山大学地域研究センター)。社会は変えられる!と明石市の実例をもとに熱い話を聞きました。

泉さんの活動の原点

 泉さんには4歳下の弟がいます。泉さん自身は勉強も運動も得意な一方、弟は生まれつき障がいがあり、お母さんから「あんたが弟の才能まで独り占めしてる、返して」と言われたこともあったそうです。また、地元の小学校から進学を断られたり(その後家族が責任を持つことを条件に許可)、全校生徒で潮干狩りに行った際には5〜10㎝の浅瀬で溺れた弟を誰も助けてくれなかったり、社会の冷たさを経験することが多くありました。そのとき「こんな冷たい社会は嫌や」と心底思ったことが、泉さんの活動の原点です。
 
 一人ひとりはいい人ばかりなのに、なんでこんなにつらい思いをしないといけないのか。なにか社会のしくみが間違っているのではないか。また、努力が報われるとは限らない、立ち上がろうとしても立ち上がれない人もいる。そんな経験を重ねて、幸運なことに頑張れる状況にある自分は、そのチカラを人のために使いたいと思うようになりました。10歳で「明石をやさしいまちにしたい、そのために自分の一生を捧げたい」と決意した泉さんが、明石市長となって実際にまちをつくり変えるまで50年の歳月がかかりました。

変えるための、発想の転換

 泉さんが明石市長を務めた12年間で実施した「全国初」の取り組みは100を超えます。掲げたのは「3つの脱却」。

 1つめは、お上意識からの脱却。トップに国があって、県、市町村、そして底辺に市民がいるというピラミッド構造で社会を捉えると、どうしても「上」からの指示を待ったり、「上」の顔色をうかがったりすることになります。見るべきは「上」ではなく、市民の顔です。
 
 2つめは、横並び意識からの脱却。ほかの市町村で例がなくても、明石の市民が必要としていることならやるべきだ。見るべきは隣まちではなく我がまちです。

 3つめは、前例主義からの脱却。自分の目で見て、耳で聞いて、脳をちゃんと働かせて。見るべきは過去ではなく今この瞬間、そして未来をつくることです。泉さんは市長を退任する際のあいさつで「私自身が前例になりたくないので、私が言ったことはすべて忘れて新しい市長についていってほしい」と市役所職員に言ったほど、このことを大切に考えています。

 これらを徹底して市民に必要な施策を行った結果、その多くが全国初の取り組みとなりました。ただ、それらの多くはヨーロッパなどではスタンダードな取り組みであり、明石が進んでいるのではなく日本の国が遅れているだけだとも話します。世界の成功事例を市民の声に合わせてアレンジして取り入れるだけで、もっともっと市民に寄り添った社会にできます。

 また、よく聞くのが「金がない」ということば。しかし金がないのは市ではなく市民。さまざまな無償化で市民が安心して暮らせるようになれば、税収がアップし市の予算も増えます。金がかかるなら、かければいいじゃないか。そのための税金じゃないか。財政についても発想の転換が必要です。「できない」という思い込み、「こうしなくてはいけない」という思い込みから脱却さえできれば、一気に未来は開けていきます。

松山大学の学生さんも多く参加し、会場は満席に

明石市のこどもを核としたまちづくり

 泉さんが市長になった当初、明石は人口減少、財政赤字、駅前衰退の三重苦に苦しんでいました。明石市民は自分たちの住むまちに誇りが持てず、胸を張って「明石市民です」と言えないような状況でした。泉さんは市長が持つ方針決定権、予算編成権、人事権という3つの権限を最大限に使って明石市を変えてきました。

 方針は「こどもを核としたまちづくり」。子どもとは、未来です。すべての子どもをまちのみんなで本気で応援すれば、まちのみんなが幸せになる。ポイントは「すべて」というところです。たったひとりも見捨てない。「ひとりくらいしょうがないと諦めてしまえば、最初にはじかれるのは私の弟であり、変り者で扱いづらい私自身でしょう。寛容なまちでなければ、私自身生きていけない。」そう方針を立て、市長在任中に子ども関連予算を2.4倍に、担当職員数を4倍に増やしました。その結果、明石市は人口増加、財政黒字化、駅前の歩行者通行量7割増と、見事三重苦を克服しました。なにより嬉しいのは、それによって市民の気持ちがあたたかく変わったことです。

変えるのは、市民

 泉さんは特定の政党や業界の支持ではなく、市民の支持で当選した市長です。「みなさん」と呼びかけるのではなく、「わたしたち」を主語に語ってきました。わたしたちのまちを、わたしたちでつくりかえよう。市長とは「わたしたち」の中から立候補して、「わたしたち」の一員として役割を担う存在。だから明石市民には自分たちがまちを変えたという意識があります。そして、市民が実現した明石市の成功を、横展開、縦展開、未来展開で他のまち、国、子どもたちの未来に広げていくことが泉さんの願いです。

一票のもつチカラ

 昔は金持ちや男しか政治に関われなかった。でもいまは、年齢制限はあるものの誰でも立候補でき、誰もが等しい一票を持つことができます。なんてすごいことでしょう。等しいいのちの一票に人生をかけたのが泉さんです。投票率が低いいま、「投票に行こう」という呼びかけが大きくなっていますが、投票したい候補者がいないという声もよく聞きます。だからむしろ「選挙に出よう」と言いたい。

 泉さんが市長に初当選したとき、落選候補との票差はたった69票でした。まちの空気感は70対30で泉さんが優勢の雰囲気でした。おおざっぱに言って70は市民、30は業界団体です。市民の投票率を40%、業界団体の投票率を90%とすると、得票数は28対27。まちで7割が応援してくれている状況でも、実際の得票はこれくらいの僅差になるのです。これをもっと頑張って80対20までもっていけると、投票率も市民45%まで少し上がる。そうすると得票数が36対18のダブルスコアでの当選となる。これが実際に起こったのが、泉さんの後任である現明石市長の選挙でした。

やさしさと、かしこさと、ほんの少しの強さ

 泉さんは、必要なのはやさしさと、かしこさと、ほんの少しの強さだと考えています。「やさしさ」とは、想像力のこと。人の痛みは決して分かりません。でも想像することはできる。そして想像力を養うためには本が有効だと考え、明石市では駅前の一等地に図書館と本屋を誘致しました。「かしこさ」とは、本当のことを見抜くチカラのこと。「ほんの少しの強さ」とは、あきらめないこと。いま自分がその3つを持てているか、適正に評価できるのは他人ではなく自分自身だけです。自分で自分を褒められるような毎日を過ごしてください、と話を締めくくりました。

 歴史とは、少数者が多数者になっていくこと。社会が変わるとは、理解・共感の輪が広がって、「当たり前」が変わっていくこと。いま日本は夜明け前。夜明け前は最も暗くて寒いですが、明けない夜はありません。人への信頼と可能性をあきらめずに、チャレンジし続けていきましょう。

(左から)進行を務めたコープ自然派しこく・野島理事、泉房穂さん、共催の松山大学・遠藤康弘教授

Table Vol.500(2024年4月)

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