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巻頭インタビュー

「平和的生存権」を実現するために(室蘭工業大学大学院教授/「RAWA(アフガニスタン女性革命協会)と連帯する会」共同代表 清末愛砂さん)

憲法学者として「平和的生存権」を実現するために、パレスチナやアフガニスタンで活動を続けてきた清末愛砂さん。
2023年10月7日からイスラエルによるパレスチナへの攻撃が激化するなか、清末さんは各地の憲法集会などで講演やアピールを行ってきました。

憲法学者として日本国憲法の理念を広く伝えるとともに実践する清末愛砂さん(2019年、札幌での憲法集会にて)
清末愛砂| KIYOSUE Aisa
室蘭工業大学大学院教授(憲法学、家族法、アフガニスタンのジェンダーに基づく暴力)。「RAWA(アフガニスタン女性革命協会)と連帯する会」共同代表。『北海道で考える〈平和〉―歴史的視点から現代と未来を探る』(共編著 法律文化社)、『ペンとミシンとヴァイオリン―アフガン難民の抵抗と民主化への道』(寿郎社)、『《世界》がここを忘れても―アフガン女性・ファルザーナの物語』(文・清末愛砂、絵・久保田桂子 寿郎社)、『平和とジェンダー正義を求めて-アフガニスタンに希望の灯火を』(共編著 耕文社)などの著書があります。

憲法学者としてパレスチナとかかわる

───23年前からパレスチナにかかわっておられるということですが。
清末 長期間、パレスチナにかかわり続けたのは、私が憲法学者だからです。日本国憲法には「平和的生存権」が明記された前文があります。
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する…」。
 格調高い憲法のもとで私は生活し、憲法を研究し、学生たちに憲法を教えてきました。定期的にパレスチナを訪ね、近年では特にガザ行きにこだわってきたのは、憲法学者として「平和的生存権」の実現を求めるために自分ができることをしようと思ったからです。

───2023年にもガザを訪ねる予定だったのですね。
清末 2023年11月13日からパレスチナに向かう予定で、11月16日からはガザに入域するはずでした。パレスチナ医療奉仕団のメンバーとして子どもたちの支援活動を行うためです。出張アトリエと呼んでいる絵画教室で子どもたちに絵を描いてもらったり、教えたりする活動を担当しています。23年前に初めてガザを訪れたときは大学生で、占領下の人々が抑圧的な生活を強いられていることを自分の目で確認して学ぶために現地を訪問しました。2回目からはパレスチナ人が率いる非暴力による抵抗運動に参加し、現在まで何度も現地に行っています。
 ガザには簡単には入れません。1990年代からイスラエルはガザ地域をフェンスと壁で徐々に囲み始め、2007年以降は封鎖しています。私が初めてガザに行ったのは2000年で、そのときは現在のように事前にイスラエル軍の許可を得る必要はなく、検問所で交渉をして入ることができました。でも、何時間も待たされました。

───ガザに住むパレスチナ人はずっと閉じ込められた状態だったのですね。
清末
 2007年から封鎖され、ガザの人たちは天井のない檻に入れられているような状態でした。365平方キロメートルのところに220万人が押し込められ、そのうち79%が難民で、イスラエル建国の1948年に故郷を追われてガザに来た人たちです。つまり、ガザの街は難民キャンプを中心にできています。そして、土地が狭いので高層アパートがたくさんあります。

力による支配はもはや破綻

───封鎖は国際法に違反する行為ではないのですか。
清末 ガザに対して行われてきた封鎖は明らかな国際法違反です。イスラエルは1967年の第三次中東戦争の結果、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザを占領しました。イスラエルも批准しているジュネーブ第四条約の規定に基づけば、占領者は占領下に置いている文民を保護しなければなりません。つまり、被占領地に住むパレスチナ人は保護の対象のはずです。なので、ガザをフェンスや壁で囲ってそこから出る自由を侵害するようなことをしてはいけないのです。生活を追い込む物流封鎖もしてはいけません。
 2007年以降になぜ封鎖したのかというと、2006年にパレスチナ立法評議会で選挙が行われ、ハマースが勝利したことに関係しています。パレスチナ解放闘争の主流であったファタハがイスラエルに妥協してきたことに加え汚職問題も深刻で、パレスチナ人はアンチ・ファタハの意味も含めてハマースを選びました。それはパレスチナ人の民意です。しかし、日本でもワイドショーなどで「イスラーム原理主義が勝利」みたいな感じで批判的に報じられました。日本を含む国際社会やイスラエルは民意を否定してファタハに肩入れをして内戦を起こさせました。その結果、ハマース関係者はヨルダン川西岸地区からガザに追い出されました。それでイスラエルは2007年以降、ガザを封鎖したのです。
 封鎖はジュネーブ第四条約が禁止する集団懲罰に相当する行為で違法です。法学研究者として私はこれに挑戦しようと本気で思いました。これは憲法学者としての矜持です。私がガザに行くことは小さな穴をあける程度で、何の影響もないかもしれません。それでも行き続けることで小さな穴を大きくしていきたいと思いました。ガザの人々は厳しい状況に追い込まれているのに、国際社会はイスラエルに対して有効な手段をとってくれず、自分たちの存在をないがしろにしているのではないか、自分たちは孤立しているのではないかという気持ちを持っています。なので、時間をかけてでもガザに行き、人々と数日間を過ごすことで、ともに生きたいという気持ちをできる限り示したいと思ってきました。

───2023年10月7日をどのように考えますか。
清末 2023年10月7日にハマースが行った民間人の殺害や拉致は、明らかに国際法違反の行為です。正当化できるものではありません。しかし、そもそもイスラエルの占領下でパレスチナ人は長い間、苛酷な生活を強いられ、抑圧されてきました。さらに国際社会はイスラエルの占領に加担するかのような姿勢を示してきました。この点をきちんと考える必要があります。始まりは10月7日ではありません。
 また、私たちのこれまでの無関心が10月7日の攻撃を生んだともいえます。戦争や武力行使には必ず始点があり、さまざまな経過を経て結果として起きるのです。風船の中で抑圧と矛盾が増えてふくらむと、いずれは破裂します。10月7日の教訓は、力による強圧的な支配の結果が何をもたらすかということを示したように思います。軍事力で相手を抑えると、自分たちのところにブーメランが戻ってくるのです。ガザでの犠牲者の数と比較することは、その差があまりに大きいため適切ではありませんが、イスラエルでも今回の事件でたくさんの人々の命が奪われました。
 イスラエルの国防大臣は、ハマースが人間の面をした野獣だと発言しました。これはとても危険な発言です。人間を非人間化していくことだからです。こういう発想は、最終的にはジェノサイド(集団的な殺害を含む、特定の集団の破壊)につながっていきます。ガザに対するイスラエルの大規模な軍事攻撃の結末がどこに向かおうとしているのか、その意図は何にあるのかということを一人ひとりが考えなければならないと思います。戦争犯罪や人道に対する罪に相当することが頻発していることも異常事態です。インフラの破壊など、ガザからパレスチナ人を追放することが目的なのではないかと思わざるを得ませんし、ガザのパレスチナ人を集団として破壊することを目ざしているようにも見えます。ジェノサイドに向かって確実に進んでいるのではないでしょうか。これを直ちに止めなければなりません。

「平和」の具体的なイメージ

───ガザで過ごした日々でどんなことが心に残っていますか。
清末 23年間のかかわりを通して、「平和」とは何かということを考えてきました。日本では、「平和」のイメージとして白い鳩が描かれたりしますが、私にとって「平和」のイメージはもっと具体的なものです。1990年代に締結されたオスロ合意に基づき、ヨルダン川西岸地区にはイスラエル側が行政権と治安権の双方を持っているC地区と呼ばれる地区があります。パレスチナ人は住んでいるけれども、パレスチナ自治政府の権限が何もないところです。西岸地区の6割はそういう地域で、特にヨルダン渓谷はC地区が非常に多いのですが、かつて私はそこで非暴力抵抗運動をしている「ヨルダン渓谷連帯委員会」の活動に定期的にかかわっていました。あるとき、メンバーの1人がみんなでお昼ご飯を食べようと自宅に招いてくれたことがあります。私は談笑しながらおいしい食事をいただいた後、ほっとしたのか、眠くなってしまいました。眠そうな顔を見たそこの家の女性が「少しお昼寝をしたらいいよ」と奥の部屋を指さしました。私はそこで30分ほど昼寝しました。この時間は私にとってつかのまの「平和」を享受するひとときでした。私がイメージする平和とはこういう光景です。また、子どもたちと一緒に絵を描いているときも楽しいひとときで心に残るシーンです。
 2019年の秋にガザを訪問したとき、外国人が珍しいからでしょうか、偶然会った音楽隊が歓迎の音楽を演奏してくれたことがありました。音楽家なので、自分たちができる歓迎の方法として音楽を奏でてくれたのでしょう。私にとっては一番楽しい思い出です。でも、今、彼らが生きているかどうかもわかりません。ガザには攻撃により廃墟になってしまったところがたくさんあります。北部はことごとく壊されてしまいました。次にガザに行けるのがいつなのか、そこで何ができるかわかりませんが、憲法前文の「平和的生存権」を信じて、私は自分ができる活動をしたいと思っています。

憲法前文はこの国の指針

───憲法前文には大切なことが書かれているのですね。
清末 憲法前文は飾りではありません。憲法の一部として法的な性質を持つもので、各条文の解釈基準になっています。前文はこの国がどういう国であるかを示す重要なものです。私が担当している今年の憲法の授業は2クラスで、200人以上の受講者がいます。全員に日本国憲法前文を読ませてから解説しました。この前文に則った国ならどんなに良いでしょうか。本来そうでなければならないのです。私たちはこういう国だということを明記しているのですから。
 繰り返しになりますが、憲法前文には「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と明記されています。私ができる限りガザに行こうとするのは、平和的生存権の実現に向けて少しでも動きたいと思うからです。「ひとしく」ですから、どこの国・地域においても人々は恐怖と欠乏から免れる権利があるという意味になります。過去から続いている数々の国際法違反の行為を見聞きして思うのは、都合よく国際法が解釈されるということです。イスラエルを含む多数の国々は国際法を無視したり、適用外であることの論理をつくり出してきました。こうして、法の支配が否定され、たくさんの人権侵害が起きてきたのです。
 「平和的生存権」の確認作業をする際に、私が基準にしているのは、憲法九条の非軍事・非武装・非暴力という発想です。現地でいかに対等な関係を築くか、ともに生きる、生きたいという意識を持てるかが大切だと思います。

───日本に暮らす私たちはどのように考えたら良いのでしょうか。
 イスラエルによるパレスチナへの抑圧・攻撃は、DVの加害者の論理と似ています。DVの本質は相手を心身ともに支配していくこと、従属させていくことにあります。相手が自分の意に背くことをしたとき、すさまじい罰を与えるのです。つまり、支配者としての力を見せつけるのです。イスラエルはハマースによる越境攻撃を受け、すぐに「自衛」の名の下で空爆を始めました。支配下に置いているパレスチナ人が意に反することをしたため、罰を与えるという発想です。加えて、今回は罰だけでなく、ガザからの追放の目的があるとも思います。
 日本では2022年12月16日に安全保障関連3文書が閣議決定されました。これらの文書に共通するのは、軍事的に優位に立つことで相手を抑えるという発想です。これはまさにDV加害者的な論理であり、イスラエルとパレスチナ、特にガザとの関係性と類似するものがあります。
 その点から考えていくと、憲法9条だけでなく、「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を規定している憲法24条の平和主義的な意義を理解することがいかに大切かが見えてきます。家族のような親密な関係において、権力関係に依拠した支配を認めず、対等な人間関係を築くことを前提とするのが24条です。つまり足元の暴力を克服し、足元から平和をいかにしてつくっていくかということなのです。9条と24条を組み合わせ、それらを主軸として社会を築いていこうとすれば、よりいっそう非暴力的な社会をつくることが可能になるのではないでしょうか。

2023年11月3日、大阪の集会で行われた清末さんの渾身のアピールは多くの人たちの心に響きました

Table Vol.497(2024年1月)

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