2023年6月26日、コープ自然派事業連合総会でコープ自然派京都前理事長・坂本真有美さんが副理事長に就任。コープ自然派京都の設立から理事長として携わってきた16年を振り返り聴きました。
コープ自然派京都理事長として
2001年から大阪の組合員でした。2006年頃、京都でも生協を立ち上げたいので手伝ってほしいと友人に頼まれたことをきっかけに発起人になりました。発起人代表からそのまま理事長に就任し、柴垣専務理事とのコンビが16年続くことになりました。
脱原発運動と東日本大震災
同じ時期、映画「六ヶ所村ラプソディー」の自主上映会が全国に広がり、私も上映会を開催する中で、「グリーンアクション」のアイリーン・美緒子・スミスさんや「美浜の会」の呼びかけに集まった若い世代や子育て世代の方々とともに、2008年「たべたいねん青森 いらんねん再処理」というイベントを主催しました。このイベントでは食の安全を切り口に、青森県六ヶ所村にある使用済み核燃料の再処理工場の本格運転反対を訴えました。パネルディスカッションのパネラーのひとりとして、コープ自然派からも当時事業連合専務理事だった小泉佳久さんが登壇され、「もし再処理が始まっても、東北の生産者を切り捨てず一緒に活動していく」と発言されたことを鮮明に覚えています。これと並行して、コープ自然派は「六ヶ所核燃再処理工場本格稼働反対及び原子力発電所に対するコープ自然派の見解」を発表。原発反対を大きく掲げるきっかけのひとつとなりました。
主催メンバーにコープ自然派の組合員が数名いたこともあって活動への熱が高まり、コープ自然派に「ロッカショ連絡会」ができ、いまの「脱原発ネットワーク」につながっていきます。2011年3月11日は東京にいました。2010年秋に集めた「六ケ所核燃再処理工場稼働反対」署名11338筆を衆議院議員会館で提出したあと地震に遭遇。なんとか翌日関西に帰りつき、3月14日には緊急で臨時連合理事会が開催され、それからの対応について話し合いました。「子どもを放射能から守る」とし、内部被ばくを避けるためにとにかく検査をすること、これ以下なら安全という「しきい値」はないという考えのもと、基準値を設けずに情報公開をしていくことを決めました。その後いまに至るまで事業連合が検査体制を強化し続けてきたことの意義は大きいと感じています。感謝とともに今後の継続、強化を期待しています。
16年を振り返って
立ち上げ時とあって、もちろん悩むこともありましたが、柴垣専務理事と議論を重ねて対応を判断し、大過なく運営をすることができました。また、前例もない分、個性的な組合員から出てくるアイディアを形にしていくことや、共同購入会のカラーが強かった時代からどんどん生協らしくなっていく過程を経験できたことも面白かったです。自分のライフワークは、シュタイナーの示した「人智学」を学び広めることですが、それは実生活や社会の中でこそ実践することなので、多様な人が関係を持つ生協という場にいることが助けとなりました。日々洪水のようにあふれる情報に流されずに立ち止まって「真実とは何か」を自分の頭で考えることが大事だと思っています。組合員の皆さんには、自分の願う社会を実現するために生協をどんどん活用してほしいと思います。
コープ自然派事業連合副理事長として
6月に京都の理事長を退任した後、事業連合副理事長に就任しました。連合副理事長も、生協の理事長と同じく非常勤理事です。主な役割として、連合理事会の機能強化、組合員視点の取り込み、友好団体との連帯強化などがあります。話し合いのプロセスを大事にし、考え続ける組織の一員として、できる限りの力を発揮したいと思います。
Table Vol.492(2023年8月)