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くらしと社会

映画「MINAMATA」から学ぼう!~アイリーン美緒子スミスさんをお招きして~①

ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんの写真集を原案とした映画「MINAMATA」が話題を呼んでいます。
2021年12月8日(水)、コープ自然派事業連合・商品委員会主催により、アイリーン・美緒子・スミスさんに映画制作の経緯や「水俣」についてお話を聴きました。
オンラインでは3回に分けてその模様をお伝えします。

アイリーン・美緒子・スミスさん。写真家、環境ジャーナリスト。東京で生まれ、11歳で渡米。1971年にユージン・スミスさんと結婚し水俣に移住。1980年頃から反原発運動に関わり、グリーン・アクション代表を務めています。

映画制作にあたって

 熊本県の水俣湾周辺で有機水銀中毒による慢性の神経系疾患・水俣病が発生しました。しかし、何の対策も講じられなかったため、新潟で第二の水俣病が発生。第一の水俣病が公式確認されたのは1956年、それから10年経った1965年に第二の水俣病が公式確認されました。両方で少なくとも50万人以上が被害を受け、現在も10件の裁判が進行中です。認定患者は合計約3000人、認定されず補償手帳を持つ人は約2万4000人、認定申請している人は約3万2000人。第一の水俣病は現在も毎年1500人から2000人が認定を申請していますが、ここ7年以上、1人も認定されていません。

 映画「MINAMATA」はユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんの写真集「MINAMATA」(1975年英語版・1989年に日本語版出版)が原案のドラマです。「10数年間の歴史を限られた時間で凝縮したため、事実の置き換えや脚色も多いですが、『水俣』を知らなかった世界中の人たち、特に若い世代に知ってもらえる大きなチャンスをいただいたと思っています」とアイリーンさん。映画制作の話は20年程前から2回ありましたが実現せず、ジョニー・デップが主演とプロデュースを手がけることになって制作が本格化しました。「映画は患者さんたちの長年の苦しみと闘いを知らせる大きなチャンスだと思いました。また、私たちの撮影の様子を知ってもらいたいとも思いました。同時に、制作をコントロールする権限がなく、患者さんたちがどのように描かれるかがとても不安でした」とアイリーンさん。結果的に、脚本家や監督と何度も話し合い、さまざまな資料を提供し、たくさんの質問に答えて映画制作がスタートしました。

 上映後の反響と課題

 アイリーンさんと夫だったユージン・スミスさん(1978年没)は、1971年9月から3年間、水俣で暮らしました。今からちょうど50年前です。映画制作前に監督を水俣に案内したとき、夕陽がリアス式海岸に沈む光景を見て監督は「美しい」と何度も繰り返しました。「撮影地の1つにモンテネグロを選んだのは水俣の夕陽の美しさと重なったのだと思います」とアイリーンさんは話します。

 2年前に映画が完成し、ベルリン映画祭で公開しました。そのとき、アイリーンさんが代表を務めるグリーン・アクション(脱原発と温暖化防止を目ざす市民団体)は水銀問題に取り組む国際団体・IPENと連携してチラシを発行し撒きました。「日本でこんなことが起きていたとはまったく知らなかった」と話す人、映画にショックを受けてチラシを受け取れない人、家族や友人たちにも知らせたいのでチラシをたくさんほしいという人などさまざまな反響でした。水銀問題は今も深刻で、火力発電所からは大気中に水銀を排出しているので、温暖化防止と大気汚染の両面から火力発電所を止めるべきだとアイリーンさんは訴えます。

 日本での上映が始まり、映画を観た中学生たちから「私たちに何ができますか」と質問されました。「とてもうれしかったですが、この問いについて彼女たちとやりとりできるような人間になりたいと痛感しています」とアイリーンさんは話します。

 水俣市では上映実行委員会が結成されました。実行委員メンバーは、支援者として水俣に住み着いた人たちの子どもや地元で育った人、そして、トップの女性は夫が加害企業・チッソで働いています。そんな若い人たちのつながりに、「夢なら覚めないで」と願うほどアイリーンさんは感動しました。一方で、「水俣事件はそんな生易しい話ではない」「映画の描き方が違う」と違和感をもつ人たちもいます。また、「水俣を早く過去のものにしたいのに映画をつくって外国人にかき回されるのはいや」と複雑な思いを抱いている人たちも。「これらの問題にどう向き合うかがこれからの私の課題です」とアイリーンさんは話します。

誰もが幸せになる社会へ

 さらに、アイリーンさんは、写真を示しながら「これらの写真は患者さんたちがためらいながらも『水俣』を知らせるために撮影を許してくれたから生まれたのです。写真は日本がこれからどう進むかを問いかけています」と。加害者と被害者、得する人と損する人という関係性をどのようにパラダイムシフトしていくか、誰もが幸せになるには経済や社会はどうあるべきかが問われます。

 今、裁判は第二世代が引き継いでいますが、誰でもいつでも発言できる場をつくることで世代や立場を超えてつながれるのではないかとアイリーンさんは考えています。

Table Vol.456(2022年1月)より
一部修正・加筆

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