東京電力福島第一原発事故から10年。事故の収束からは程遠く、多くの人たちが今なお苦難を強いられています。2021年2月8日(月)、コープ自然派兵庫(なでしこ原っぱチーム主催)は、福島県浪江町から兵庫県三木市に避難・移住している菅野みずえさん(コープ自然派兵庫組合員)にお話を聴きました。

福島県浪江町での暮らしを大切にしていた菅野さんは、仮設住宅での避難生活を経て、兵庫県三木市に避難・移住。原発賠償関西訴訟原告団の一人で、コロナ禍に原発を止めよ!の原発運転差し止め仮処分申し立ての債権者でもあります。

暮らしも文化も奪われた‼

 「原発事故避難者はふるさとを失ったと言われますが、ふるさととはそこを出た人がなつかしく思うもの。私たちが失ったのは暮らしの場所です。私たちは望まないのに暮らしの場所から追い出されました。なぜ?被ばくするからです」と菅野さん。東日本大震災が起きたとき、浪江町の請戸小学校では卒業式の練習をしていました。わずか300m先の堤防は津波で決壊し、その先に福島第一原発があります。そのとき学校にいたのは卒業式の練習で残っていた子どもたちと学童保育の低学年の子どもたち77名、そして教師たち。ちょうど前日に津波の避難訓練をしたところだったので、「津波が来るぞ!」と老人が駆け込んで教えてくれたとき、子どもたちは訓練どおりに車いすも担いで山を登り全員で避難しました。

 福島第一原発が爆発したという情報は浪江町には届きませんでした。原発が危険な状態になったときには、電力会社は直ちに県と立地市町村および国に連絡し、国と県は直ちに近隣市町村に連絡することになっていました。浪江町は原発に何かあればすぐに連絡をするよう東電と協定を結んでいました。福島第一原発から浪江町役場までは8km、それなのに連絡は来なかったのです。爆発音で浪江町は一番遠い支所がある津島地区に避難するよう指示を出し、2万1500人が避難しました。長い渋滞の途中でガソリンが尽きた人たちの車をみんなで道路の端に寄せ、それぞれの車に分乗して避難しました。「私たちはそんなふうに暮らしていたのです。誰一人取り残さないというコミュニティを築いていました」と菅野さん。長い冬にも楽しみがありました。バケツの水が凍ったのを使って氷灯篭をつくり、「来年度の12月には114号線に並べて氷祭りをやろう」と地区で計画を立てたのが2011年3月9日のこと。氷祭りはできなくなりました。「暮らしがなくなれば、そこに息づく文化もコミュニティもなくなります。原発事故によってすべてを奪われたのです」と菅野さんは話します。

原発の危機はすぐそばに

 「東日本大震災と原発事故はまったく別物です。私たちは原発事故による放射性物質から避難しました。なのに、国は強制(区域内)避難地区とそれ以外の地域の避難者を自主避難者と呼んで分断しています」と菅野さん。阪神淡路大震災時には関西で福祉の仕事に携わっていた菅野さんは仮設住宅を何度も訪ねましたが、まさか自分が仮設住宅に入るとは思っていなかったということです。そして、「原発の危機性はみなさんのすぐそばにあります。福井県の老朽原発が次々再稼働されようとしています。大阪の工場から原発に燃料棒を運んでいる車が事故を起こすかもしれません。他人事ではないのです」と菅野さんは訴えます。

避難者が果たす役割とは

 東電・福島原発事故からまもなく10年。マスコミなどでも「フクシマを忘れない」などと訴えています。しかし、菅野さんはそれを善意と感じつつ、「忘れない」という言葉に違和感を抱いています。原発の緊急事態宣言は発せられたままで、収束作業は始まってもいません。昨年も富士山麓や長野県、秋田県の野生キノコの一部が出荷制限されました。放射性物質が降り注いだからです。また、「福島事故」ではなく「東電原発事故」であり、責任の所在を明らかにすべきだと菅野さんは思っています。「服の上からかゆいところを掻くようなもどかしさを感じます。でも、めげないで言葉を発していきます。私たちは原発を許した世代なのですから」と。菅野さんは鉄腕アトムの漫画をリアルタイムで読み、原子力の平和利用を刷り込まれた世代です。原発の危険性を知ったのはチェルノブイリ原発事故(1986年)でした。その後は反原発デモに参加したり、署名に名前を連ねることはありましたが、原発をなくすために積極的に行動していなかったことを菅野さんは悔いています。

 菅野さんが避難者として行動を始めたのはコープ自然派のイベントで仮設住宅の様子を報告したときから。その後、「避難計画を案ずる関西連絡会」と出会い、避難計画のない原発政策などあり得ないと避難先と避難元の市町村に訴えています。裁判の原告団に参加し、集会などでも発言。「ようやく避難者としての役割を少し果たせているかなという感じです。避難者は自分が置かれた立場を嘆くだけでは何の役にも立ちません。次はあなたが子どもを連れて避難するかもしれないと伝えなければ加害者になってしまいます。多くの子どもたちは福島に生まれただけで苦労を背負い、アイデンティティを失ったまま生きています。若い母親たちは地域で果たすはずだった役割を失ったままです。どうか誰も被害者にならないよう、暮らしや文化、コミュニティを失わないよう、ともに頑張りましょう」と菅野さんは訴えました。

Table Vol.436(2021年3月)より
一部修正