2021年1月11日(月・祝)、コープ自然派事業連合・憲法連絡会は内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)を迎えて講演会を開催、「コモン」をキーワードに自由と平等、デモクラシーについてなど明快なお話を聴きました。オンラインTableでは、その内容を3回に分けてお伝えします。

内田樹さんは思想家、武道家でもあり、「コモンの再生」「コロナと生きる」「日本辺境論」「私家版・ユダヤ文化論」「日本習合論」など著書多数。

 

「自由と平等」の矛盾

 アメリカでは建国以来、統治原理そのもののうちにある種の矛盾を抱え込んでいます。それは連邦派と分離派の対立であり、リバタリアニズム(自由原理主義)とコミュニタリアニズム(共同体原理主義)の対立で、統治原理で言えば自由と平等の対立です。それが形を変えて繰り返されています。

 近代市民社会では、「自由と平等」は並列的な概念のように扱われていますが、自由と平等はトレードオフの関係にあります。自由をひたすら追求すれば平等の実現は遠のき、平等をひたすら追求すれば個人の自由は阻害される。世界の多くの国がデモクラシーを導入して何百年経っても、いまだに繰り返しデモクラシーの危機に遭遇するのは、デモクラシーが本質的に不安定な政体だからですが、それはデモクラシーの根本理念である「自由と平等」が実は相性が悪いからです。自由を優先すれば、平等が犠牲になり、平等を優先すれば自由が犠牲になる。巨大な公権力が存在して、市民生活に強権的に介入すれば自由は抑圧される。でも、公権力が私権を制限し、私財の一部を徴収して公共財を豊かにして、それを弱者・貧者に再分配するしくみをつくらなければ平等は実現しない。自由主義者は「小さな政府」を求め、平等主義者は「大きな政府」を求めます。

 アメリカの南北戦争も、一面から見ると、自由か平等かを選択する戦争でした。政策的に最も対立したのは奴隷制度廃止です。リンカーンは人種差別を廃して人種間平等を実現しようとしたのですが、そのためには「人種間の平等なんか不要だ」と主張する人たちを軍事的に制圧して制度を強制するしかなかった。南部連合の「自由」を尊重していたら、奴隷制撤廃による「平等」は実現できなかったということです。

 でも、奴隷制支持者の側にも大義名分はあったのです。「独立宣言」には創造主はすべての人を平等につくった。誰も平等に生まれた。それから後は自由競争です。個人的な努力によってある者は強者になり、ある者は敗者になる。勝者と敗者、強者と弱者、富裕な者と貧しい者の格差は、もともと平等に創造された人間たちのそれ以後の努力の差に過ぎない。平等の実現は神さまの領域の仕事で人事にはかかわらない。そこに公権力が介入して、無理やり平等を実現することは神さまの領域を侵すことに等しい。そういうふうにリバタリアンは考えます。だから、公権力が制度的に平等を実現することにあくまで反対する。努力しなかった人間、才能がなかった人間を公権力が税金を使って救済することはアンフェアである、と。リバタリアンたちは「自由を求める人間は強者であり、平等を求める人間は弱者である」というふうに考えます。そして、人間はすべからく強者たらねばならない。この考え方はアメリカ社会に深く根付いています。

 あまり知られていないことですが、アメリカの保守思想家の中にはユダヤ人が多く含まれています。ユダヤ人は19世紀末から20世紀初めにロシアや東欧で反ユダヤ主義の暴力を逃れてアメリカに大挙して移住してきました。しかし、新大陸でも彼らは先に定着した移民集団から排斥され、激しい差別を受け、既存の産業分野のドアは鼻先で閉じられ、ユダヤ人には就くべき職業がなかった。しかたなく彼らは金融とジャーナリズムとショービジネスというまったく新しいニッチビジネスを開発しました。自分たちで雇用を創出する以外に働き口がなかったのです。でも、この3つは20世紀アメリカで最も成功したビジネス分野になりました。

 移民第一世代が刻苦勉励して金を稼ぎ、子ども世代には高等教育を受けさせて社会的成功を収めた。そういう被差別状態から這い上がった成功体験を重く見るユダヤ人たちは黒人に対する人種差別に対して冷淡です。なぜおまえたちはわれわれのように努力しないのか、と。黒人がいまだに差別の対象であるのは努力していないからだ。平等を実現したければ公権力の介入を当てにせず、自己努力でなんとかしろという主張はなかなか反論することが困難です。

医療の不平等で感染拡大

 アメリカでは新型コロナウイルスの死者数は第二次世界大戦の死者数をすでに超えて、世界最悪の数字になっています。なぜアメリカではこれほど感染が広がったのか。それは、アメリカでは医療を受けるか受けないかの決定権は個人の自由だとされているからです。医療は高額の商品で、お金を出して買うものです。だから、金がある者は医療を受けられ、ない者は受けられない。シンプルです。

 古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」には「医療者は患者が自由人であっても奴隷であっても、その属性によって医療内容を変えてはいけない」という一条があります。医療は商品ではないということです。これは医療については正しい考え方だと僕は思います。実際に、この誓いを実現するために、人類はできる限り安価で効率的な医療法を開発し、すぐれた医療者を育てるための医学教育制度を整備し、貧しい人でも医療を受けられる保険制度を発明しました。もし、古代ギリシャの時点で、医療は金持ちだけが受けられ、貧乏人は受けられないで死ぬというシンプルで非情なルールを採用していたら、それ以後の医学の進歩はなかったでしょう。

 けれども、アメリカでは「医療の平等」という考え方はいまだに国民的合意を得ることができないでいます。国民皆保険制度もつくろうとするたびに阻まれてきました。今、アメリカには無保険者が約2750万人います。彼らはコロナウイルスに感染しても病院に行けない。ICUが1日1000ドルというような設定ですから、数週間も入院するとすぐに請求額が数百万円というような額になる。だから、貧しい人は治療が受けられない。感染症は全住民が等しく良質な医療を受けられるシステムが整備されない限り制御できません。しかし、アメリカではそういう制度がないどころか、そういう制度が必要だという考え方を受け入れない国民が数千万人単位で存在します。バイデン新大統領が感染症抑制のために医療機会の平等を実現しようとしても、国民的合意を得るのは困難でしょう。(③に続く)

Table Vol.434(2021年2月)より
一部加筆・修正