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くらしと社会

私たちの暮らしと憲法

大学での講義の合間を縫って講演してくださった高作正博さん
大学での講義の合間を縫って講演してくださった高作正博さん

2019年6月20日(木)、コープ自然派兵庫では高作正博さん(関西大学法学部教授)を講師に講演会を開催、私たちの暮らしと憲法について考えました。

司会・進行を務めた上﨑常任理事。

憲法は国の最高法規

 憲法とは、自由(人権、個人)を守るために国家権力を制限するもの、国家に守ってもらうものです。日本国憲法第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」、第98条には「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する他の行為全部又は一部は、その効力を有しない」、また、第99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と記されています。

人権および平和とは

 では、憲法が保障する「人権」とはどのようなものでしょうか。「人権とは生まれながらにして自由で平等であるという考え方です。自民党の改憲論議では人権はエゴイズムだと主張する人もいますが、エゴイズムとは自分だけ良ければ他の人はどうでも良いという考え方で、人権とは私もあなたも等しく尊重されなければならないという考え方です」と高作さん。そして、例えば交通機関のストライキについてどのように考えるかと問題提起しました。日本では交通機関のストライキは通勤や通学に支障が起きるので迷惑でわがままだと考えられがちですが、フランスでは大規模なストライキは頻繁に起こり、ゴミ収集業者が1ヵ月くらいストライキをしてゴミを収集しないこともあります。そして、ゴミが溢れていても彼らの権利だからと許容する文化がフランスにはあるということです。

 次に「平和」について。「平和とは戦争のない状態というのは不十分で、構造的暴力のない状態、武力による平和ではなく、戦争の原因である恐怖や貧困を解決することが大事」だと高作さん。日本国憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和の裡に生存する権利を有することを確認する」と記され、日本国憲法では一人ひとりの生活にまで踏み込んだ考え方を世界の中でいち早く取り入れています。しかし、今、このような考え方が危うくなっているのが重大な問題だと高作さんは話します。

 第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」、第26条では「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と記されています。しかし、近年では非正規雇用が4割を超えるなど個人の最低限の暮らしが崩れようとしています。そして、このような状態が進むと不満を抱えた人たちが暴走するかもしれないと政府は精神面で一体化させようとしています。また、教育における行き過ぎた競争原理は生活格差と教育格差の連動を生み出します。

個人と多様性の承認

 憲法では一人ひとりの多様な生き方が保障されています。ところがこれを否定するような発言が保守系から出てきています。自民党・杉田水脈衆議院議員は、「LGBTのカップルは子どもをつくらない。つまり、『生産性』がないので、そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と寄稿し批判されました(「新潮45」2018.8月号)。この意見の背景には人は労働力・経済のために必要だという考え方があります。自民党改正案では、13条「すべて国民は個人として尊重される」を「すべての国民は人として尊重される」と曖昧な表現に変え、24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」という一文を追加しています。これは個人より家族が尊重されるべきだとする考え方を強調するものです。

原因が国家にある場合

 何が人権や平和を保障することを妨げるのか、原因が国家にある場合と社会にある場合を考えました。まず国家に原因がある場合の例として、高作さんは沖縄戦での集団自決を挙げました。これには2つの歴史観があり、1つは旧日本軍に強制されて自決したという歴史観、もう1つは旧日本軍と民間人たちが共に戦って自決したという歴史観です。教科書検定では旧日本軍の強制だったという歴史観は削除させられました。

 「日の丸掲揚・君が代斉唱」の問題もあります。日の丸・君が代が学校現場にあっても良いと考える人もいるし、戦前の負のシンボルになるので強制は良くないと考える人もいます。しかし、現在の教育現場では、日の丸・君が代は卒業式・入学式で強制的に導入され、従わない教職員は処分の対象となります。

 政府の政策に批判的なメッセージを出す集会や政治活動に参加している人をマークし、場合によっては逮捕することが最近多くなっています。「立川反戦ビラ事件」(2008年4月11日判決)は最高裁で有罪が確定。自衛隊宿舎に入って自衛隊イラク派兵反対のビラをまいた人たちが住居不法侵入罪で逮捕されたのが発端でした。裁判が進むなかで管理人が警察に呼ばれて出頭するとすでに被害届けが作成されているなど最初からマークした人を不法侵入罪として逮捕、最高裁で有罪判決が確定しました。「東京都集会盗撮事件」(2018年1月21日、最高裁で上告棄却)は公安警察が集会の入り口付近で単眼鏡やビデオで盗撮、それを裁判に訴えましたが、集会参加者の中に指名手配犯がいるかもしれないと棄却されました。

原因が社会にある場合

 次に、原因が社会にある場合を考えました。東京都が設置・管理する「青年の家」の使用・宿泊申し込みを同性愛カップルが行ったところ、秩序を乱す恐れがあると使用を認められなかった事例があります。「青年の家」は男女で宿泊施設を分けていて、同性愛者だと男女の基準では分けられなくなるので秩序を乱す恐れがあると東京都の担当者は使用不許可としたようですが、これはまさにスティグマ(社会的に劣った者という烙印)で、裁判所も東京都の行為は違法だとしました。また、「犯罪者はどうせ更生することはないから、できるだけ長い間刑務所に入れたほうが良い」「前科のある人が近所にいると不安になるからどこに住んでいるかという情報は多くの人に知らせるのが良い」という考え方は、偏見に基づく排除をもたらし、一度、犯罪に手を染めた人から社会復帰の場を奪い、再び犯罪に走らせてしまいます。そして、このような状況がさらに進むとモラル・パニック(誤報やウソによって危険な集団だとされたグループや人などに表出される激しい感情)を生みます。未成年者の犯罪が相次いだとき、「少年法」を改正して厳罰化すべしと一気に主張されたことがありました。このような現象は過去にもあり、関東大震災が発生した時、日本人が各地で自警団を組織して朝鮮人に暴行を加え、殺しました。朝鮮人が井戸に毒を入れたというウソから始まった歴史上のモラル・パニックです。「直近では権力者がフェイクニュースを流しています。その代表格がトランプ大統領で、こういう現象に惑わされないことが大切です」と高作さんは言います。

 権力者が国内の民意を統合するときよく使うのは国外に敵をつくるというやり方です。ところが最近は国内に敵をつくり、少数者に対してレッテルを張り排除する動きと連動しています。かつて麻生財務大臣は「ナチスの手口に学んではどうか」と発言しましたが、これはまさにナチスの使った手法です。「経済政策を掲げて選挙に勝利し、安倍政権は延命してきましたが、少数者の権利や利益がどんどん切り捨てられ、弱い人たちをさらに貶めています。目先の利益にとらわれず、政権が何をやろうとしているのかを見極める目を持つ必要があるのではないでしょうか」と高作さんは話しました。

 監視カメラ設置の動きが高まっていますが、監視は民主主義に不可欠な権利・自由を抑制し得るし、多数派が少数派のプライバシーを放棄させることになるのではないかと高作さん。食の問題においても安全性を追及する少数派の視点を大切にすべきだと話しました。

Table Vol.399(2019年9月)

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