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連載

おわりはじまり「介護の現場からその④」玄番真紀子

 「戦争を思い出すわ」。デイサービスでのカラオケタイムに流れてきた軍歌にセツコさんは顔をしかめた。

 デイサービスを利用しているのは戦中戦後を経験してきた世代である。この山間の村でも若い男の人は戦争にとられて残っているのは年寄りと女性ばかり。田畑を守り食べていくために、子どもだったセツコさんも薪を運んだり、田んぼを牛でひいたりと、大人同様につかわれたと言う。

 ある時、隣に住むおにいさんが召集された。「男前で賢い人やった。みんなでお祝いしたけんど、本人や家族はどんな思いだったんじゃろうの」。ただ帰ってきてほしいと思ったが、おにいさんは遠い地で特攻で亡くなった。

 誰もが明日死ぬかもしれないと「死」を意識する日々。出征前に「せっちゃんに最後に会いに来た」と挨拶に来てくれた姿が脳裏に焼き付いている。

 学校でも家でも戦争には勝つと教えられ、新聞では勇ましい記事ばかり。戦争が嫌だとも、ましてや負けるのではとも誰も口に出せなかった。「日本は神の国だと心の中に植えつけられるんじゃな。ほんなら神さんがいるような気になってくる。神風なんて吹くわけないのに。とにかく言いたいことが言えん、あれが軍国主義っていうもんじゃの」。

 玉音放送で敗戦を知り泣いている人もいたが、「わたしは気色よかった(すっとした)。もし日本が勝ってあのままずっと軍国主義が続いとったと思うとぞっとする」。そして戦争が終わると学校では全く反対のことが言われるようになり、大人は勝手だと思ったと言う。

 たくさんの若い命を奪ったあの戦争はいったいなんだったのかと、セツコさんの記憶に残る風景を振り返って考えること。

 「私が書いて残せたらええんじゃけんどなあ」。戦争に至るまでの空気感、言いたいことが言えない同調圧力や自主規制が怖いのだということを次の世代に伝えたいセツコさん。「それにしても物も食糧もない時代、勝てるはずもないのになんで戦争なんて始めたんか、どうしてもわからんのよ。偉い人はとろこい(頭が悪い)のぅと思たわ」。

 セツコさんが一気に話をしてくれたとある昼下がり、折りしも自国の政府が辺野古沖に土砂を投入した日。戦争に続く道をひた走り、再び民を巻き添えにしようとしている「偉い人」たちの非道と愚行をのちの歴史はどう記すのだろう。そしていま子どもたちはどう感じているのだろう。沖縄県民の民意を踏みつけて強行する姿勢はまさに軍国主義の時代と同様、そして声をあげなければ私たち一人一人の意見もYesと同様である。

 今こそ聞いておかなければならない、戦争を知る最後の世代。「私がセツコさんから聞いて代わりに書いて残しますね」と伝えると、セツコさんは険しかった顔をほころばせて微笑んだ。まだまだ言い足りないセツコさんの聞き書きはこれからも続く予定。

玄番真紀子
1998年、家族とともに大阪から徳島県関那賀町木頭に移り住む。国のダム建設計画に対して敢然と立ち向かった女性たちについて書いた「山守りのババたち~脱ダム村の贈り物」、木頭地区に伝わる生活習慣や風習をまとめた「じいとばあから学ぶこと」が出版されている。
Table Vol.383(2019年1月)

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